ヨーコとヒロシのアフリカ旅行(
2001年6月17日〜6月24日)今回の旅行はザンビアと言うことで訪問にはビザが必要である。ザンビア大使館は西五反田にあるので自分で取得することにしたが、阪急交通社はビザ取得を断ったためか、全く不親切で何も教えてくれない。長男の名前で日食観測のために訪問するとの英文推薦状を作り、大使館へ行きビザを申請した。結構親切にやってくれた。これ以外にも事前準備として黄熱病の予防接種証明が必要であり、お台場の東京検疫所に行き予防接種を受けた。接種代\
1600、証明書\830也。6
月17日(日)成田空港発
18:30のキャセイCX505便で出発。雲海の中に富士山が忽然と眼下に見えた。香港着22:15。香港空港は前に来たときより整備が進んでいて、少し思い出した。ヨハネスブルグ行きCX-749に乗り継ぐ。6
月18日(月)ヨハネスブルグ到着
6:50。南ア航空SA323便でケープタウンへ向かう。飛行機だと2時間ほどの距離である。空港からケープタウンの街に入るバスの車窓から、一目見ただけで独特な形をしたテーブルマウンテンが見えてきた。丸型の大きなロープウェーに乗りテーブルマウンテンの山頂に。高さは約1000m。遊歩道のある公園にこのロープウェーは回転展望台になっていてキャビン自体がゆっくりと回転し、どこに乗っていてもケープタウンの街を見ることができる。ケープタウンは岬の西側にある街で入り江が港に適している。ケープタウンはアフリカ大陸の最南端であると普通の人は思っている。当然我々も普通の人であるからそう思っていたが、最南端はアグラス岬と言って
150kmほど東になる。ホテルはヴィクトリア&アルフレッドウォーターフロントの近くにあるが、バスに缶詰状態のまま、市内を歩かせてはもらえなかった。南アでもケープタウンはヨーロッパ的でそのままではアフリカとは思えない。当然我々が見ている部分はアパルトヘイトによる元白人居住地区のみ。世界で最初に心臓移植手術をやった病院があった。テーブルマウンテンを降り、南アフリカ博物館のプラネタリウムへ行った。プラネタリウムは
6月4日から29日まで改装工事中で閉まっていた。もっとも開いていても時間がなくて見なかったと思う。ミュジアムショップで時間をつぶすも、本当は南半球のプラネタリウムを体験したかった。夜はV&Aウォーターフロントで買い物と食事。ここだけは治安がよいがホテルまではタクシーを使わないと夜は歩けない。6
月19日(火)ケープタウンの街から西岸を南下。オットセイのいるドイカー島へ。ドイカー島といっても小さな岩で上陸するわけでなく船からオットセイの群落を眺める。この後は東海岸に回りペンギンのいるボルダーズビーチに向かう。途中のサイモンズタウンで小さなマリーナの前のシーフードレストランで昼食。郵便局を探して切手を買いに行くが、日本までの葉書き料金の切手は置いてないとかで売ってくれなかった。この町には南ア海軍の訓練所があり、途中で機関砲の連射を見ることができた。遠く離れていたが、確かに白煙と発射音が聞こえた。
野生のペンギンがアフリカで見られるところで有名なボルダーズビーチへ。確かに砂の中に穴を掘ってペンギンがいっぱいいる。人に慣れていて逃げようとしない。ここを出る頃からお腹の具合があやしくなって来た。トイレはあるが少なく出発間際で込み合っていた。やむなく我慢してバスに乗ったが、とても希望峰まで持ちそうにない。有料道路のゲートで危急を訴えて料金所のトイレを借りる。バスのご一行を待たせたことで大変恥ずかしい思いをし、迷惑を掛けた。でも、人間困った時には助けてくれるものだ。
ケープポイントに着くと短いケーブルカーがあり、頂上に小さな灯台が建っている。記念に乗ってみたが、帰りは横の歩道を歩いて戻る。さすがにここがアフリカの最南端かと実感した。本当は150km先にあるのだが、ここからは見えない。売店にポストがあったのでここで切手を買って投函。
少し離れた希望峰に向かう。途中で野生の猿とダチョウを見た。どうした訳か日本人はみんなケープポイントよりも希望峰へ行きたがるがなぜか? 希望峰へ行く人は少ない。とガイドが言っていた。確かに行ってみると、そこには何もなく看板が立っているだけ。灯台もないし、売店もケーブルカーもない。景色も悪く見晴らしは悪い。ただし、ここがアフリカ大陸の最南西端であるということは事実だ。日本では希望峰の名前だけが有名だから日本人がここへ来るのだ。
ケープタウンへ戻りシグナルヒルから街の夜景を見る。火星とケンタウルス座、南十字星が見える。本当は南半球の星空が見たいのに、赤々と街明かりの見える場所ではどうにもならない。
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月20日(水)ケープタウン発
9:30の南ア航空SA318便でヨハネスブルグへ。ヨハネスブルグに着くとバスに乗る前から治安の悪さを聞かされる。恐らく過去の訪問地の中では一番治安の悪い場所だと思う。市の中心街には高層ビルやショッピングモールもあるが、それらは建物があるだけで強盗や殺人の起きる無法地帯である。市の郊外にはアパルトヘイトの名残りのソウェト(黒人居住地区)が広がる。白人や外国資本は黒人の中心部進出と治安の悪化に郊外に逃げ出し、都市機能が異常になっている。バスから出られないし車窓からビル街を眺めるのみ。世界最大の金鉱テーマパークのゴールドリーフシティを訪問。入場口で写真を撮っていると、黒人の小学生グループが珍しそうに我々を眺めていた。面白かったのはアンダーグラウンドツアーで、ヘルメットをかぶり重い肩掛けバッテリーとランプを持って地下220mの採掘坑にエレベータで降りて、採掘現場を体験。気圧の変化が判る。地下はやや寒い。その後金貨の展示販売や、金鉱労働者の黒人のダンスを見た。純金の精錬実演(ゴールドボアー)では真っ赤に溶けた金塊を見る。最後に2本の指で金塊を持ち上げた人がいたらくれると言うが、もちろんあがる訳がない。6
月21日(木)朝
4:30にモーニングコール。5:30発の専用のチャーター機でヨハネスブルグからザンビアのルサカへ飛ぶ。ザンビアでは当地の通貨クワッチャを元に両替することが出来ない。$10を両替してK38000に。ルサカ空港の前の駐車場を阪急交通社が借り切っていて、十分なスペースが確保されていた。警備の警官もいて一般人の侵入を阻止してくれる。空港は相当混雑しており、日食でやって来た人が多い。13時42分3秒に第一接触。皆既時間は3分27秒である。トイレは空港まで戻らねばならないし、何か買うのも空港である。空港では小さな売店がいくつかあり、商売気の旺盛なところとやる気のないところがある。しかし日食グッズに相当する土産らしいものは見当たらない。警官に郵便局を聞いて、行ったが郵便局では切手を見せてくれと言っても通常切手が数種しかなく、US$が通用しない。親切にも警官が銀行まで案内してくれてK(クワッチャ)に両替した。$10を両替したら
K38,000もある。再び郵便局にて切手を購入。すると日食切手のパンフレットをくれた。何だ!ちゃんとあるやないか。この切手をくれと粘ったが、ここにはないから街の中央郵便局へ行けとのこと。そもそもこの国では自国で消費するために切手を発行しているのではなく、輸出用商品として出しているので郵便局にもないのだ。日本でザンビアの切手を買って持って行っていたが、インフレが激しく郵便料金は1000倍以上違っていた。出発前にゲートで最後の買い物。$しか通用しない。ミネラルウォータが$1。サイの置物が$7。再びチャーター機(南ア航空)にてヨハネスブルグに戻る。ホテルにて明日のツアーを探す。一応予約したつもりだが、うまく意思が伝わったかどうか全く不安だった。
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月22日(金)終日自由行動だったので、ヨハネスブルグから北西130kmのピラネスバーグ国立公園に本物のサファリを見に行く。8:30予定の時間に迎えが来た。ツアーは
3組6名程と書いてあったが、申し込んだのは我々2人だけ。運転手付きでレンタカーを借りたようなもの。サファリとカジノのセットだが、カジノよりもサファリに時間を掛けるようにした。高速道路は無い筈だがとにかく車が少なく、普通の道路でも軽く100kmは出ている。もっとも車が少ないのと直線道路なので飛ばせる。公園の入り口で金を払って、そのまま車で入るだけ。広大な野山を動物を求めて、ただ走るだけ。ガイドはゲームドライブと呼んでいた。すなわち動物に出会うかどうかは運しだい。ガイドの名はピーター・マナメラ?と言った。さすがに商売だけあって、動物を見つけるのがうまい。彼に見えていても保護色のなかに潜む動物はなかなか見つけられない。ビッグ5(サイ、ライオン、アフリカ象、バッファロー、ヒョウ)を見つけるのが目標だ。幸運にも我々はすぐにライオンを見つけることが出来た。前から来た車が1台すれ違う。「何か見たか?」「まだ何も」「ライオンがいたよ。この向こうに」「ありがとう」と情報を交換する。この後も多くの動物を直に見ることが出来た。象の群れが車の前後を至近距離で横断する。池に水を飲みにくる。象の集団。カバ。ダチョウ。ワニ。結局レオパードだけは見ることが出来なかった。昼飯は公園内のレストランでダチョウのステーキを食べた。鳥の肉だが鶏肉とは違って、牛の肉のようだ。
カジノがあるサンシティは公園と隣接している。中東の富豪が金を落としにここまで遊びに来ると言う。見たところ日本人はいなかったように思う。約30分位だが少しスロットを楽しむ。ヒロシはすぐに擦ってしまったが、ヨーコさんはやはり運が強く、少しづつ増やしているではないか。結局時間がないから、換金して元手以上が戻ってきた。時間通り待ってくれていたが、結構時間を使ってしまったので、ヨハネスブルグに戻ってきた頃には日が暮れてきた。帰りは例によって飛ばすこと。
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月23日(土)12:50
発CX748便香港行き。ヨハネスブルグを経ってすぐに飛行機内で何か様子がおかしい。燃料が少ないために余りスピードを出していないように思えた。香港に向かう途中、モーリシャスに着陸し給油。アナウンスでは香港からヨハネスブルグへの到着が遅れたため、給油時間がなくそのまま出発したとか言っていたと思うが、それにしても変な理由だ。6
月24日(日)本来なら
9:05のCX504便で帰国の予定であったが、結局15:00のCX500便成田行きに変更された。15:00ならもう成田に着いている時間である。香港で6時間の待機。キャセイからラウンジに案内されたが、待っている間にヒロシだけ先に空港ロビーに出てしまったので、みんながゲートに集まっている時に一緒になれず、逆行して怖いおばさんに怒鳴られた。キャセイラウンジでは配られたフリーテレホンカードで日本に電話することが出来た。またインターネットのパソコンが使い放題で、ニフティのページからメール転送にトライ。日本語表示は出来ているのに入力機能がないため、英語でしか書き込めない。それでも一応メール送信に成功した。<短編付録>
6月14日に日本を出発し、香港経由で南アのヨハネスブルグへ入り、ケープタウウン観光後、再びヨハネスブルグに戻り、
21日の日食当日早朝より、チャーター機にてザンビアのルサカ国際空港へ。観測地は貸し切りの空港駐車場。わずか数100mだけ数時間の入国でしたが、うまく晴れてくれました。5回目にて5回とも観望大成功でした。極大期のコロナが全体に大きく明るいために、あまり特長が有りません。 ダイヤモンドリングも鮮明でなく、月の谷間の加減もあってきれいな閃光は見えませんでした。閃光に比べてコロナが明る過ぎたと思う。今回もトルコに続いて、フラッシュスペクトル
に取り組んだのですが、第二接触は何とか撮れたものの、第三接触では失敗してしまいました。今回、頑張って1台のカメラで部分食とフラッシュスペクトルとコロナを撮ったのですが、前半は順調にフィルタを付けて部分食、フィルタを外しプリズムを付け光軸を合わせてスペクトル、プリズムを外してコロナを撮った、まではうまく行きました。後半のプリズムを付けて光軸を合わせるところでもたつき、第三接触が始まってしまった。それに皆既中の撮影風景やコロナも初めてのデジカメ で写したので、殆ど肉眼でコロナを観賞する余裕は有りませんでした。デジカメ は手振れの上、露出オーバーでコロナが明る過ぎて中心の黒い部分がない、普通の太陽のようになり失敗でした。日食撮影も慣れて来るとリハーサルもせずに欲張って横着するので、こんな始末です。最後の
1日はアフリカならではのサファリに出かけ、ライオン、サイ、アフリカ象、ワニ、カバ、シマウマ、インパラ、等々多くの動物に遭遇することができた。帰りは同じ香港ルートだったけど、キャセイ航空の都合のため途中、モーリシャスに着陸給油したために、時間が大きく遅れ、香港で次の便まで待たされた。この間に無料のインターネットがあったので、時間は掛かったがヨーコさんが何とか接続に成功し第一報を送信しました。でも日本語入力機能がないので、読めるのに打てず、変な漢字のキーボードで苦労しました。阪急交通のツアー(ルサカでは
3コース120名程)は天文好きの人が多く、それなりに装備もきちんとしていました。