オーストラリア旅行
8日間 2004年5月18日(火)〜5月23日(日)今年は肉眼的巨大彗星が同時に2つ見えるというので、楽しみにしていたが、
5月に南半球で条件が良いとのこと。東亜天文学会が広電観光のツアーを企画していたので、すぐに参加することに決めた。3月半ばにFAXで申し込んだところが、その後いつになっても広電観光から何の連絡もない。Y先生からはがきをもらったので、申し込みが受理されていることを知った。その後もお土産の案内は届いたが、旅行の詳細はさっぱり分からず、3日前に電話してやっと集合場所や航空券の受け取りが判明した。その後も前日になってオーストラリアではビザが必要だと知って慌てたが、これは電子ビザ(ETAS)で結果的には広電がやってくれていた。後で判ったが、オーストラリアは空港利用税が高い。特にエアーズロックの空港はAS$24もした。因みに広電観光は夫婦初の海外旅行(1983年インドネシア日食)の時の旅行社である。肝心の彗星は見えることは見えたが期待ほどではなく、南天の空が楽しめたのと、ヨーコの運転がこの旅行の成果である。ヨーコの総括。グアムのハレー彗星もそうだったけど、遠くへ来た割りには彗星はもう一つパッとしないでガッカリでした。しかしオーストラリアでは素晴らしい思い出を得ました。それは免許を取って以来まったくのペーパードライバーであるヨーコがレンタカーで思いっ切りドライブできたこと。大胆にも国際免許を取っておいたのが奏功した。オーストラリアは日本と同じ左側通行、借りた車も日本車で、交通量が極端に少なく練習を始めてすぐに20km離れたエアーズロックまで運転。さらに50km離れたマウントオルガまで足を延ばし、結局1人で200km以上を運転した。
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月18日(火)(第1日目)JR
潮見駅17時前の京葉線で、新木場乗換え西船橋経由、船橋から京成特急に乗り換え、成田で乗り換え成田空港第2ターミナルに到着。19時に集合。さすがにこの時間になると空港も閑散としていてどこも空いている。今回の旅行は今までの装備に比べて簡易赤道儀と三脚が増えている為、かばんが重い。ヨーコと合わせて二人で34kgでまだ余裕はある。 東京からは4人(我々以外に横浜からの男性1名、女性1名)が参加。 両替は成田のUFJ銀行でやったが、AS$が随分高くなっていた。売りでAS$=91円もした。21:25のカンタス航空QF60で出発。ところが順調にゲートを離れたのに、機材の故障が発生しもう一度ゲートに戻る。飛行機から降ろされはしなかったが、説明も殆どないまま1時間遅れで出発。まあ良くあることか。カンタスのマイルはAAに付けた。5月
19日(水)(第2日目)午前
9:30ケアンズに着いたときは30分遅れ。ケアンズではすぐに国内線ターミナルに移動。関空組が先に到着していたが、知っている人はなく、Yさんも30年ぶりくらいで実は良くわからない。ところが、先着の関空組の乗る飛行機が故障のためにズルズルと遅れ、同じロビーで待つことになった。現地案内の人が紹介してくれて、どの人かやっと確定した。Y先生の記憶だと、前回会った時は私はひげを伸ばしていたそうな。ということは1885年、阪神優勝の時か。結局遅れていた飛行機は最後には取り消しになってしまい、彼らと同行することになった。エアーズロック着12:55(ただし時差は−30分で現地時間)。30分などと言う半端な時差は今まで聞いたことがない。とても小さな空港で、エアーズロックリゾートに行く人しかいない。リゾートではアウトバックパイオニアホテルに泊まる。平屋のロッジ風である。
Y先生がレンタカーを1台確保していたから、それで観測地を探しに行ってくれた。10年ほど前に来た時より街灯が増えているとのことだ。空港ではA田氏ら3人もいたが、彼らはまだ450km程西に行くという。で、14名で車1台で3回に分かれて移動。16:00第1弾が出発。待っている間に金星が見え出してきた。観測地は空港へ向かう途中の短い分岐点のそば。ヨーコは第1弾ヒロシは第2陣となった。しかし、暗くなり始めると早い。薄明の中で第2陣としてセッティングを開始するも、何しろ初めて使う赤道儀で、なおかつ南天での極軸セット。目標とする星は何も見えない。やがてカノープス、ケンタウルスα、南十字が見えてくる。誰かがリニア彗星が見えると叫ぶ。あせってくる。コンパスと分度器で何とか極軸をセットし、135mmでリニアを狙う。ヨーコは50mmで固定撮影。確かに彗星であることは判るが、期待に反してショボイ。ニートも見えると言うが、どこにあるのか、どれなのかさっぱり判らない。
Y先生は第3陣を連れてきたときは、すっかり真っ暗となる。さすがにオーストラリア、非常に暗くて手元が見えない。銀河が雲のようで、微細構造も見える。オリオンは真横になって沈んで行くし、しし座は完全にひっくり返っている。夕食の関係で
9時半には帰らなくてはならない。9時頃に撮影終了し、再び3陣に分かれて撤収。混乱の中で気がつくと赤道儀がお辞儀してしまっている。望遠レンズのためにバランスが悪かったから・・。ヨーコは第2陣で帰った筈だったが車が来ずにリゾートまで歩いた。ヒロシは第3陣だが、途中で歩いている2陣を追い越して先着。夕食は自分で焼く
BBQ。ヨーコはスコッチフィレ、ヒロシはカンガルーステーキとエミユーのソーセージ。カンガルーは焼くのが難しいと言われていたので、ヨーコはビーフにしたが、そこそこうまく焼けた。鹿肉に近いがそれ程臭みもなく結構おいしい。夕食後に部屋の前から空を見ると南十字と銀河がきれい。天気はだんだん悪くなるとの情報もあったので、リゾート内の展望台にカメラを持って行って見た。ところが展望台だけあって、夜はリゾートの夜景を見ているようなもの。リゾート以外に人工灯火はないので、光さえ遮るとどこでも銀河が見える。適当に固定撮影。5月20日(木)(第3日目)
日の出
1時間前にサンライズツアーのバスが出るので、4時30分に目覚まし時計を合わせていたが鳴らず。モーニングコールで目が覚めた。レンタカーが空いているので、ツアーに申し込んでいなかった我々とM本夫妻でサンライズツアーについて行く。運転はM本さんに頼んで便乗。近くに見るエアーズロックは確かに巨大だ。高さ340m、周囲9km。ビューイングポイントにどんどん車が集まってくる。やがて日の出と共に、山が赤く照らされて明るくなるが、それ程感動的なものではない。確かに寒くて暖かいコーヒーでもあれば喜ばれるだろうけど、そのために7000円もするオプショナルツアーはボッタくり? あっという間にサンライズが終わってしまい、満員の駐車場はガラガラに。ついで、エアーズロックの登山に行く。見たところ一番緩やかな斜面を登るのだが、確かに足がすくんでしまう。途中でどんどん急勾配になってくるが、下を見ると気持ちが悪い。人によってはもうしゃがみこんでしまって動けない人もいる。斜面が急なため滑りやすく絶対に運動靴でないと無理だ。1本の鎖が何とか安心の命綱である。一気に急勾配を登るので結構息が切れる。何回か休憩しながら、前を向いてどんどん登る。足を滑らせたら見えない地面まで一気に落ちてしまう。たぶんやめておいたら良かったと思った人もいる。エアーズロックは上に登ると強い風が吹いていて、足元が不安定だと台風並みに飛ばされそうになる。
この日の観測は昨夜
Y先生が見つけてくれた、部屋から150mくらいの駐車場。日没前からセッティンングを行い観測体勢に。午後はリゾートのスーパーと郵便局へ行ったくらいで、オプショナルツアーも申し込んでいないし、外へはどこへも出掛けなかったからヨーコは不満だった。夕食はカンガルーバーガーを買ってきてこれで済ませる。結構ボリュームがあり、これで足りた。ヨーコは先に部屋に帰ったが、ヒロシは0時頃曇ってくるまで撮影。5
月21日(金)(第4日目)午前中は
Y先生のレンタカーでまた3回に分乗してアボリジニの文化センターへ行くこととなった。しかし、このペースでは時間ばかりかかって自由行動が取れない。9時にレンタカー屋が開くので借りに行った。実はヨーコは出発前に国際免許証を取得して持って来ていた。オーストラリアは日本と同じ左側通行、借りた車も日本車ニッサンパルサー。日本でも運転したことがないヨーコが運転することにした。もちろん運転はヒロシがやるつもりだったが、ここの交通量なら大丈夫だと思われた。初めはヒロシの運転で国立公園へ向かう。ゲート通過の後サンセットビューエリアに入り、とても信じられない話だが、ヨーコに交代した。まず車の運転の感覚をつかんでもらうために、ゆっくり前進で直進のみ。駐車エリア内と周辺道路をそろりと2周し、教習所代りに。そのまま、ヨーコの運転でエアーズロックに行った。道が単調なので時速40kmくらいでそろりと進む。車線と車幅の感覚を得て、一路エアーズロックへ。この間約20km。ヒロシはサイドブレーキを握ってコチコチ。昨日登ったところはガラ空きだった。この日は風が強く登山禁止。エアーズロックを1周した。これだけで
10kmくらいある。その後、文化センターへ行く。ここでYさん御一行と出会った。ここからカタジュタ(オルガス)へ向かう。ようやく運転にも慣れてきたようで、こっちの道は交通量が少なく、直線的であり、普通の道だけど制限速度は100km。快調に飛ばしてカタジュタに着いた。最高速度105km。カタジュタではジョージという巨岩の谷間に行った。ここで偶然
M本夫妻に出会う。結局彼らもレンタカーを借りて、風の谷を歩くためにここに来たのだった。この谷は途中で行き止まりで2kmぐらいのハイキング。次に風の谷へ行って見たがこちらは8kmもある。時間の都合と体力も考慮して、途中まで行って引き返した。オルガはエアーズロックより大きくて高さは546mもある。運転はずっとヨーコさんであり、駐車を除いて絶好調。サンセットビューイングエリアで撮影後、一路リゾートへ飛ばす。結局この日は200km近く運転した。5年前に免許を取って一度京都でワゴンRに乗ってからわずかに2回目の乗車であった。5kmくらいの平地直線コースで1台も車が来ない。日本でこんなところは絶対にない。北海道でも無理だ。信号も横断歩道も1つもない。夜はエアーズロックの日周運動を撮るためにサンセットエリアに行った。それまで曇っていたが日没頃から西から晴れ出した。サンセットエリアは車があふれて満員だった。夕焼けにそまるエアーズロックを見て、終わると皆一斉に帰ってしまう。ガラガラになった駐車場で写真撮影を始めたところ、間もなく不審な車が1台ライトを照らしたまま我々のすぐ横に止まった。20時頃か、国立公園のパトロールである。身分証明書を提示して名乗りながら、公園は7時30分で閉鎖だと言ってきた。21時まで大丈夫だと思っていたので全く意外だった。
折角晴れたのに・・。やむなく退散してリゾートに戻った。
パトロールは公園の入場券の名前を控えて返してくれた。夜の運転はヒロシが担当したが、無免許なのでヨーコはヒヤヒヤしたらしい。この夜も近くの駐車場で撮影したが、ヨーコは運転疲れでお休み。0時頃にはまた曇ってしまった。
5月22日(土)(第5日目)
車の返却が10時であるので、朝早くもう一度練習しようと車に乗る。まずエアーズロックの空港へ行った。途中から雨になった。さらにそのままヨーコの運転でエアーズロックまで出かける。雨である。サンライズツアーは中止だったのだろうか。車は殆どいない。雨のために今日は岩が黒く見える。もちろん登山は禁止だ。結局3日あっても運が悪いと登るチャンスもないことが判る。我々が来る前日も雨だったらしい。
アボリジニの伝説の聖地とされる壁画と川のある場所へ行った。傘が
1本しかないので、ヒロシは東京都指定のゴミ袋を頭からかぶって観光。他に行くところがないとは言え、3日有効の国立公園入場券をフルに使い、毎日通ってロックの違う姿を楽しむことができた。レンタカーを返しに行くときに、若干のハプニング。ガソリンスタンドで車を止めたが、燃料キャップ扉のオープンレバーが見つからない。前の車のおじさんに聞いたがなかなか判らない。それもそのはずマットの下に隠されていた。さらにセルフのスタンドだったので、やり方が判らない。日本でもセルフスタンドで入れたことがない。ぶっつけ本番でやってみたが、はじめはガソリンが漏れてあわてた。何回かに分けて入れているうちに要領がわかり必要以上に満タンにしてしまった。レンタカーなのだからメーターだけFに戻っていればいいのに、損した感じ。価格は
1リットル90円くらいか、思ったより高い。車を返して、ゆっくりと朝食をとった。
エアーズロック発
13:40QF988便にてケアンズへ移動。ケアンズはワイキキに似た雰囲気だが、もっと鄙びた田舎である。殆ど時間が取れないので、夕食の前にもラグーンやピアーに出掛け、みやげ物屋にも足を運んだ。ヨーコが行ってみたいと言っていた水族館も5月末に閉鎖されたようで、閉まっていた。ラグーンのプールも水を抜いて工事中。ケアンズでは湿度が高くムッとした熱帯的雰囲気。着いたらすぐにスコールがあった。5月23日(日)(第6日目)
朝、出発前にもう一度海岸沿いを散歩に出た。確かに干潟は泥ばかりであり海はきれいではない。相当沖までいかないと深い海にならない。見慣れない鳥がたくさんいて鳴き声も多く聞こえる。プロムナードにはジョギングコースも作られていてきれいに整備されている。ケアンズ空港
12:10発QF167便で成田へ。帰りの荷物は1個で32kgもあり、Heavyのタグが付けられた。割り増し料を払っても40kg超えの荷物は機内預かりできない。ケアンズ空港で流星の
K下氏に声を掛けられた。彼らはシドニーから500km程のジョージタウンに行ってきたらしい。成田空港からの帰宅には行きと逆のルートで京成で船橋へ、JRに乗り換えて西船へ、西船で乗り換えて新木場で乗り換えてやっと潮見に帰着。羽田空港に比べて何と不便なことか。 旅行に戻る トップへ戻る