オーストリア旅行 1997年7月20日(日)~27日(日)
参加予定していた近畿日本ツーリストのツアーが催行中止となったので、やむなく阪急交通社に頼むがギリギリまで飛行機が取れず、やきもきした。結局名古屋回りのルフトハンザがとれた。
7月20日(日) 第1日目
名古屋発LH737便フランクフルト経由、LH3432便ウイーン行き。今回の飛行機ほど取るのに苦労したことはない。関空発の便を探し回ったが結局全然取れず、行きは名古屋経由となってしまった。それでも阪急交通社は努力してくれ安い券を手に入れる事が出来た。そもそも近畿日本ツーリストか日通旅行でのパックツアーを計画していたのだが、不思議なことに希望していた4つのツアーが全て催行中止となり、あわててJCBと阪急で手配していたのだ。よって今回は全て個人旅行となった。もちろんエコノミーだが、パック旅行と違ってくつろげる。
名古屋10:00発の予定だったので、早朝にJR宇治を出発し、新幹線で名古屋へ、空港バスで名古屋空港へ。名古屋空港は売店も小さく、時間をつぶすところがない。京都からは新幹線、空港バスと順調であったのに、名古屋空港でハプニングが・・。予定時間になっても呼び出しはなく、飛行機は一向に飛ぶ気配がない。乗客はイライラして情報を求めるが、詳しいことはさっぱり判らない。いつまで待ってもLHだけが出発しないのである。
ところが、お昼が過ぎて弁当が支給された。トイレの故障のためと説明があった。こんなことはままあることだから、あせっては損だ。結局4時間遅れの14時に離陸。フランクフルトへ着いたのは19時05分だった。もちろんフランクフルトでは4時間もおくれたから乗り継ぎの出来ない人が続出し、乗り継ぎの出来なかった人は予定の変更でおおわらわ。パック旅行の人達も大変だった。幸いにもウイーン行きはもう1便あったので、我々はその日のうちにウィーンへ行くことが出来た。22時45分ウイーンに着き、タクシーに乗りインターコチネンタルホテルへチェックイン。タクシーの運転手は女性だった。あーあ、とにかく長旅であった。
7月21日(月) 第2日目
朝食はホテルで採り、日本人向けの朝食メニューもあったが、洋食の方へ。ホテルの前が地下鉄の駅なので、まず地下鉄に乗る。切符の自動販売機があったが、操作法が不明。もたついていると親切おじさんが自動販売機で1日券の買い方を教えてくれ買ってくれた。都会のくせに観光地だからか、親切であった。カールスプラッツで降りて、ケルントナー通りを経てシュテファン寺院に行った。この辺りではモーツアルトのような中世の格好をした学生アルバイトがコンサートのチケットを売っている。グラーベン通りのペスト記念柱を抜けて旧王宮アルテホーフブルグから新王宮ノイエホーフブルグ、マリアテレジア広場へ。美術館も博物館も見る時間がない。再びカールスプラッツから地下鉄でシェーンブルンへ。シェーンブルン宮殿では少し雨に降られて、傘を持ってはいたが風が強く、ヨーコはグアムで買ったベネトンの傘が壊れてしまった。シェーンブルン宮殿の庭を半分行ったところで、引き返し、宮殿内のレストランに入った。お昼はシェーンブルン宮殿のレストランでサンドイッチを食べた。きれいなレストランだが場所も目立たずに営業中なのかどうか判らないような所だった。宮殿はベルサイユに似せて雄大でマリアテレジア(シッシー)の時代が忍ばれる。中に動物園まであった。天気が良くなくしばしば雨がぱらついた。帰りにザルツブルグ行き電車の予約を取りに、ウイーン西駅へ行った。ウイーン発ザルツブルグ行きの特急指定席券を購入、VISAカードで買えた。ホテルに帰って休憩していると、晩飯の時間に出遅れてしまい、もう夕方を過ぎている。晩飯を食べるために表に出たが、時間が遅くもう店は閉まっていた。中華料理屋を探すも、見つからず、駅で食べるにも店は閉まってしまい、疲れているのにウロウロした。結局オペラ座の近くザッハーの裏通りの地下にセルフ方式のレストランが見つかった。そこでヨーコはパスタとビールを採る。私はパスタを取った。すぐ後ろがカッフェモツアルトとかザッハーであったがもう一度行く時間はなかった。
7月22日(火) 第3日目
ホテルにて朝食。前の公園を通り市電の駅に行った。ここから市電に乗って中央墓地に出かけた。停留所では若い親切な女性が乗り場のことを教えてくれたし、墓地でもベートーベンの墓があるという場所を探したが、何しろ広い墓地である。途中で親切なおばさんが、我々を見つけて「ムージカー?」と聞いた。そして墓のある街区まで案内してくれた。相手は英語が判らないし、こっちはドイツ語が判らない。それでも雰囲気で、帰りの道まで教えてくれたのが判った。多くの観光客がいたが日本人は我々だけであった。墓場の前には、幾人かの旅行者が集まっていたが、韓国の若者が多くいるのが目立つ。日本人は我々二人だけ。帰りは市電で中心部へ戻り、そのまま今度は北の方角に転じて、地下鉄に乗り換えてプラター公園へ行った。ドナウ河まで行きたかったが、この頃から急激に体調が悪くなり、発熱と全身倦怠に襲われて気分が悪くり、ついに動けなくなってきた。プラター公園の観覧車に乗っただけで、疲れが出て逃げるようにホテルへ帰った。地下鉄のカールスプラッツの駅で、お昼用のサンドイッチを買って帰ったが、ホテルに着くなりダウンしてしまった。部屋に着くともう全く元気がなく、ベッドに倒れ込んで眠ってしまった。ところがやや遅れてヨーコにも感染?したらしく、なぜかヨーコまでが一緒にダウンしてしまい。二人とも無意識の内に眠ってしまった。喉が痛いし完全に風邪の症状であった。およそ5時間程も眠りこけたあと、熱が下がってようやく目が覚めた。旅行中に病気になるのはとてもつらいと言うことが判った。大いに予定が変わったので、ヨーコの買い物スケジュールは飛んでしまった。しかも伝統的なウイーンのカッフェに寄らなかったので、いつかチャンスがあればもう一度来ることになろう。実際に博物館も美術館もみていないのだから・・。ホーフブルグ宮殿でも例のコンサートチケットを売りに来ていたが、これも次回は是非行って見よう。結局、昼のサンドを抜いてひたすら眠ったのみの半日であった。
7月23日(水) 第4日目
インターコチネンタルをチェックアウトして、地下鉄でゆったりめにウイーン西駅へ。9:20発の特急EuroCity162の一等車でヨーロッパの汽車旅行。特急の一番後ろの展望車に乗った。展望席になっていて、座席位置が高く見晴らしが良い。隣の指定席には韓国人の若夫婦が乗って来た。3時間ほどの旅であったが、韓国人の若夫婦とは一言もしゃべらず。お昼前に食堂車へ行って二人で食事。前から一度体験させてあげたかった特急のレストランでの食事。途中の景色も田園的でのどかでリッチな雰囲気であった。早めに行ったのでちょうど混み合う前で良かった。列車内での食事は豪華な気分である。もちろんヨーコとの食事は初めて。ヨーコが列車での移動を願っていたのでそれを実現した。昼過ぎ12:28にザルツブルグに到着。ザルツブルグに着いてまず明日のミュンヘン行き切符を購入、JCBが使えた。ついでホテルホリデーインクラウンプラザにチェックイン。早速街の探索。このシーズンはザルツブルグ音楽祭があるので宿泊料金も高く、ホテルも取りにくかった。ミラベル宮殿を経て、ゲトライデガッセに。モーツアルトの生家を訪問した。レジデンツ広場、カピテル広場を通って、ケーブルカーで山の上のホーエンザルツブルグ城へ。ここでも親切おばさんがカメラで二人を撮ってくれた。ホーエンザルツブルグ城ではヨーコは余り見るべきものがなかったようだ。武器とか昔の軍隊の展示なんかがあった。お城から降りてカッフェフュルストで休憩し、名物のモーツアルトクーゲルを買い、ホテルに戻った。ホテルに戻った後、夕食に出る。夜はやはり中華料理を探してうろつくも、ガイドブックの中華料理屋を探すが、見つからず、行った店は名前が変わっていた上にお客がいっぱい。相変わらず風邪?で熱っぽかったので、薬局(アポテケ)でバイエルのバッファリンを購入。ホテルへ帰るまでの近くのレストランで洋食。ここのヌードルスープを採ったらこれが体によく効いた。不思議なくらいによく効いて病状がすっかり回復した。これにはヨーコもびっくり。スープで病気が吹き飛び、体調が回復した話。
7月24日(木) 第5日目
午前中に昨日行ったゲトライデガッセへ買い物に出かけた。モーツァルトの店でお土産のモーツァルトクーゲルを買う。またその横の楽器屋さんで私はハーモニカを、ヨーコは三男のドラムのスティックを買った。お昼頃の汽車に乗る必要があったので、ホテルをチェックアウト。そしてザルツブルグ駅へ。ザルツブルグ駅から国際列車インターシティIC64に乗ってミュンヘンへ向かう。列車はザルツブルグを出るとすぐにドイツへ入った。国際列車で国境を越えたが、いつ越えたのか判らない。6人掛けのコンパートメントにもう一人ドイツ人の医者らしき男性客がいるだけで、貸し切りみたいなものだ。途中の検札もあったが、税関?の人間かパスポートコントロールに二人連れがやって来た。拳銃を下げた物々しい二人が突然ドアを開けたときはやや驚いた。パスポートコントロールであったので、やはり国境を越えたという感じがした。しかしパスポートにスタンプを押してくれる訳では無い。記念に押してくれと頼んだが受け入れられず。ザルツブルグからミュンヘンまではノンストップで1時間半である。ミュンヘン中央駅(ハウプトバーンホッフHBF)から地下鉄でローゼンハイマープラッツのミュンヘンシティヒルトンにチェックイン。地下鉄の出口にはホテル専用の出口があった。ホテルの近くにドイツ博物館があるので少し歩いて夕方の締まりかけのドイツ博物館を見学。もう5時前だったので閉まる直前であったが、中を見る時間は結構あった。さすがに工業先進国のドイツの歴史と実力を見せつけられた。交通機関の発達史や鉄道、自動車、Uボートなど実物が展示されていて興味深い。特に感激だったのはUボートの実物展示と高電圧の放電実験である。バンデグラフ起電機による人工落雷の実験には度肝を抜かれた。本当にすごい音とともに空中放電をおこし落雷するのである。夜はついでに近くの日本料理屋を探した。まだ開いてなかったので近くの教会前で時間待ち。この間雨が少しパラついた。
小さなコンビニSPAがあったのでビールとお菓子を買う。日本食レストラン「赤坂」が開いたので入る。おそらくその日の最初の客であろう。久しぶりの日本食である。しばらくすると他の夫婦がやって来た。和歌山県の人(隠居先生?)で娘夫婦がミュンヘンに住んでいるので遊びに来たらしい。ホテルも我々と同じヒルトンだった。
7月25日(金) 第6日目
朝から天気が悪い。ヒルトンの朝食は1階廊下の横のロビーのようなところ、セットメニューが決まっていて、バイキングではなかったが、そこそこのボリュームがあり結構良かった。地下鉄でマリエン広場へ行き、新市庁舎やフラウエン教会を見て、その辺りのノイハウザー通りをウインドウショッピング。ヘンケルの店やスウォッチの店へ行き、喫茶店で休憩、残念なことに雨が降り出した。途中でザンクトミヒャエル教会を見たりで、11時からのカラクリ時計が動き出すのを見逃すところだった。実際動き始めは見逃してしまったが、結構長い。からくり時計を見て、さらにフラウエン教会、ザンクトミヒャエル教会、この後、地下鉄でオデオン広場へ、エジプト美術館へ行こうとしている時に、突然の暗雲がやって来て激しい夕立に遭った。雨が少しおさまるまで雨宿り。さらにエジプト美術館、レジデンツ博物館に入った。エジプト美術はやはりドイツでは大型のものはなかった。国立劇場の前から、遅めの昼飯にビアホールを探す。ミュンヘンへ来てビールを飲むために、いつかヨーコをつれて来たいと思っていた例のホーフブロイハウスを見つけて二人で昼間からビールを飲む。ジョッキとソーセージを注文し、約2時間つぶした。時刻は16時頃、あまり飲むと帰りがしんどいので、500ccのジョッキでやめた。ヨーコは1Lの大ジョッキにすれば良いのに、やはり帰りを気にして中ジョッキ。しかし2杯飲んだから結局1Lを飲んだ。お土産にヨーコはホーフブロイの大ジョッキ1Lを買った。ミュンヘンでソーセージを摘みながらビールを飲むのは格別。夜はホテルの真向かいにあった「金魚」という中華料理へ行った。ワンタンスープを飲む。
7月26日(土) 第7日目
国電S8線でミュンヘン空港へ向かう。ミュンヘン空港は新しく出来たばかりでガラス張りのきれいな空港である。11:15発LH135ミュンヘン行きを待っている間に売店でスワロフスキーのブレッスレットを買う。フランクフルト経由で13:40発LH740関空行きを待つ。ゲートに着いてから、飛行機がなかなか出ない。予定の時間が来ても全然アナウンスもない。いらいらしているとどうやら関西に台風が来ているとのことで出発するかどうか時間がかかっているらしい。30分遅れで出発した。
7月27日(日) 第8日目
今度の旅行は行きもトラブル、帰りもトラブル、でも今度は関空へ帰れるのでまだましだ。
心配した台風はきわめて遅くまだ山口北方にあり関空への着陸には何の影響もなかった。 旅行中は次男が北海道旅行、長男がオリエンの合宿で不在。でも次男は前日に家に戻っており、JR宇治駅から電話して迎えに来てもらった。その夜には長男も帰宅した。