新疆ウイグル旅行  2008728日(月)〜83日(日)

今回の旅行は2002年のテニアン島以来6年ぶりの日食旅行だった。ヨーコはずっとモンゴルへ行くものとばかり思っていたが、実際は中国の新疆ウイグル自治区であり、モンゴルとの国境から50kmばかり中国側である。旅行社は僻地の学術調査を専門とする国際航空旅行サービスという会社だった。敦煌の観光がコースに入っていたので、2月中に早々と予約した。旅行代金は2名で715,060円(空港税8,840円および燃油特別付加34,800円+観測地入境許可料金630元×2約2万1500円を含む)。

中国でも、今の携帯FOMA(3G)は使えない。でも去年の経験により、重いだけのレンタル携帯は借りなかった。

 

7月28日(月)(第1日目)

船橋経由京成にて成田空港駅へ、第1ターミナルに1155分に着いた。中国元が両替可能となったのでSMBCにて両替。といっても元は100元札のみで少額紙幣がない。やむなく500元(=8770円)を両替したが、結果的には、その後どこでも両替のチャンスがなく、 元はヨーコが最後に1.2元を残しただけで、全て使い切った。大韓航空でソウル仁川(インチョン)空港まで行きソウルからウルムチ行きに乗り換える。 第一ターミナルは去年よりさらに拡張が進み大きくなっていた。事前に調べておいたが、大韓航空のマイルはノースウエストに付けられた。(帰国後に判明したが、このマイルは加算対象外で無効だった。ヤッパリ!) 大韓航空の利用も実は初めてだったが、日本の航空会社のような雰囲気で違和感はない。1355分発KE704便でインチョンに1620分着。インチョン空港はアジアの拠点ハブ空港を目指して2001年に開港した新しい空港であり買い物施設が充実している。乗り継ぎまでに約4時間もあるので、空港ビルの端から端まで歩いて見学した。旅の先は長いのでここでの買い物は禁物。21時発のKE883便に乗った。約5時間のフライトで夜中の1時半にウルムチ空港に到着。砂漠かと思っていたら、何と雨が降っていた。ホテルは34階建ての高層ホテル「海徳大酒店」だが、2時半にチェックインし、3時間寝ただけ。

 

7月29日(火)(第2日目)

しばらく寝てすぐに5時半起床、荷物をバスに預けて朝食、6時半にウルムチ空港へ戻る。国内線はスイカや瓜の土産物のダンボールを一杯持った中国人で溢れ返っていた。国内線のゲートへ向かうセキュリティーチェックでヨーコの所持品が 引っかかった。化粧水やらコンタクト液やら、新品のコンタクトレンズまで没収され、 ヨーコは頭に来ていた。国内線の方が厳しいとは。100ml以下の液体なら透明容器にいれて持ち込み可能なはず だが、中国では通じなかった。8月8日からの北京オリンピックを控え、中国の警戒は予想以上に厳しかった。 中国南方航空の国内線で敦煌935分に着く。このまま午前中に鳴沙山月牙泉に。鳴沙山は敦煌の街の南に広がる広大な砂山である。鳥取大 砂丘のイメージかと思ったが、規模が違う。砂よけの袋(10元)を履いて、駱駝に乗った。駱駝はふたこぶラクダでコブの間に鞍をのせているがかなり乗りやすい。乗るときと、 降りるときは足を折って座ってくれるが、突然ガクンと動くので掴まっていないと怖い。

ラクダの次は砂山登りであるが、木の階段を登るとソリ滑り付きの有料(45元)であった。砂山は相当急で途中から階段のないところでは1歩進んで半歩ずり落ちる状態。エアーズロックの急な登り道を思い出した。急だけど砂山で見通しもよいので、砂まみれになることさえ覚悟 すれば怖くはない。二人とも砂すべりを楽しんで、売店で水を買った(5元)。この後は、敦煌市内へ戻り、共産党幹部も使うという郊外の太陽村食府にて昼食、中庭では中国鼓弓の 生演奏、まだ中華料理も新鮮で昼からヘビーではあったが、飽きてはなかった。昼食後、いよいよメインの莫高窟を訪問、水のない枯れ川の橋を渡って オアシスの端に到着。イメージでは砂漠地帯の真っ只中かと思いきや、 さにあらず砂肌の壁面の反対側は緑に覆われている。日本語ガイドのツアーに加わる。最初に35mの大仏を納めた第96窟、続いて南の小大仏(第130窟)、涅槃像(148窟)など 有名な10窟がセットになっている。249,251窟を見て、さらに254、158、45、112、158などを見たと思う。最後に井上靖の小説「敦煌」で有名になった第16窟・17 窟を見る。膨大な経典が17窟の壁の向うに塗りこめられていたところだ。

残念なことに莫高窟ではカメラを預けなければならない。折角古い壁画を見ても記憶に残らないのが残念である。売店で本(160元)と絵葉書(40元) を買う。手持ちの元が少ないので、円で支払い3千円だった。日本で両替するより現金の方がレートが良い。

このあと夜光杯の製造工場を見て、ホテル「敦煌国際大酒店」にチェックイン。夕食はホテルの隣の中華レストラン。このツアーの受け入れ旅行社の経営だった。 一行の夫婦のうち一人が怪我をして、病院へ行って一針縫ったという。中国人ガイドが同行してくれたそうだが保険がないので自費支払いで3000円程度だったという。人事ながら安くて 良かった。コンタクトの液と日焼け止めクリームと水を買うために近くのスパーを探す。水は1元、ビールが2.5元だった。因みにホテルの部屋の冷蔵庫では水が3元、ホテルの売店で2元だった。

 

7月30日(水)(第3日目)

睡眠時間3時間の強行軍が続いたので、この日はゆっくりした休養日となった。朝9時に出発、西100kmほどの玉門関へ。途中はほんとに砂と砂利以外 に何もないゴビだった。ゴビは砂漠ではなく、ゴビ(石と砂の荒地)である。玉門関にはトイレのある施設があったが、そこで何とNEDO援助による太陽光発電システムがあった。関所はオアシスの近くであり、それ以外は特に城壁もなく、どこでも回避できそうな気がしたが、 水なしではゴビは横断できないから必要ないとのこと。なるほどと思う。少し先の漢代の長城跡を見に行った。GPSを付けて関長城に沿ってランニングしたが、スタートスイッチの入れ忘れ、改めて位置を記録したまま、バスで敦煌まで戻る。昼食は陽光大酒 店。この後、白馬塔へ行き、土産の地図を買う。露天で最高35元でふっかけられたが、最後に別の店で10元で買った。うまく交渉できたと 喜んでいたら、後ろに定価10元と書いてあった! 何や値切って買ったと思ったら、定価だったのか。じゅうたん屋の見物をしてホテルに戻る。

 

7月31日(木)(第4日目)

この日はいよいよ観測地に向けたハミへ移動開始480kmのバス移動。モーニングコールは6:30800出発。地図でみれば遠回りのように見えるが、柳園から星星峡を経て、ハミへ向かう。どこまでも果てしない砂漠地帯 が続く。昼飯は途中のパーキングエリアの食堂。一行17名+添乗員+中国人ガイド+ウイグル人ガイドの20名分のラグ麺を作るところから始まる。トイレはこの道に入ってからかなりひどい。男は青空トイレ。 建物があっても仕切りも扉もなく垂れ流し、山積み状態。今までホテルやレストランだったので中国を経験しなかったが、家の周りでも糞だらけの状況にはウンざり。

道が悪いのでスピードは出ず、予想外に時間が掛かる。広いところでここしか道がないのに高速道路もない。ハミの街に ついてからバスの運転手が道を知らず、ホテル到着がやや遅れた。ホテルは「鉄路賓館」だったが、中に入ると「大路橋賓館」、地球の歩き方には、「哈鉄大履」という名で出ていた三ツ星ホテル である。あまり期待していなかったが、大きな水槽にアロワナやピラルクが泳ぎ、立派なホテルだった。ヨーコはこのホテルのシャワーが気に入っていた。夕食は別のホテルのレストランへ。 帰ってからハミ駅のあたりを散歩。ハミは瓜が名物であり、デザートはハミ瓜だった。

 

8月1日(金)(第5日目)

いよいよ日食の当日。朝は朝食なしで6時に出発。観測地まで270kmをバス移動。まずはハミから北上し、天山山脈を越える。高い山は4000m級であり頂上には雪が残る。

峠(分水嶺)がどこか判らなかったが、山の北側へ出ると急に牧草地に変わり、砂漠が草原と化す。朝食は10時過ぎにパオが建てられた牧場で、遊牧民の料理。 さらに北の巴里坤(バリコン)にて公安当局に行き、入境許可書を発行してもらう。バリコンのホテル には観測隊が順次集合しており、先頭のパトカーに付いて隊列を組みながら進む。このホテルには日本旅行の観測ツアーが 宿泊していた。ここでやっと日食らしいポスターを見た。

この行列はスピードが遅く、なかなか目的地に到着しない。しかも途中で荷物の検問があり、ここでも長時間待つ。これから先は軍用道路となり、一般車は入 れない。乗用車とバスで計20台くらいだが、途中の道ではパリ・ダカールラリーを思わせる。砂道をもうもうと砂煙を巻き上げながら、3台が併走する場面も。人が誰もいない中で、途中に時折、警戒の兵士の姿が見える。撮影したいが、カメラは禁止だ。GPSで計測したかったが、軍用地なのでGPSも見つかれば、没収される危険性があった。

観測地到着は、時頃、観測地にパトカーと救急車が配置され、売店のテントもあった。我々のバスは観測エリアの一番北で、さらにバスから300mぐらい東に離れたところにテントが張ってあった。幸い重いケースは別の車で運んでくれたが、観測の設営をしている間に昼食が準備され、テントの下でみんなで食べる。Cコース以外にDコースも一緒なので、スタッフも含め、約50人くらいだろうか。

とにかく暑い。準備中にも水分補給をしてもぶっ倒れそうな暑さだ。テントの中で40℃超え、外は50℃を越えていた。18時04分(または07分?)に第一接触が始まる。

まだまだ太陽高度は高く日差しがきつい。ヨーコは10分毎、ヒロシは5分毎に部分食の撮影を行う。雲もまばらで順調だった。 ところが、第二接触の直前で悲劇が起こった。いよいよ太陽が細くなり、気温も下がり、あたりが夕焼けとなって肉眼で細い太陽を見れるまでになった。さあダイヤ モンドリングを写そうと構えたその瞬間に小さな雲にダイヤモンドリングが隠されてしまい、撮影のチャンスを逃した。コロナ見えているはずなのに、が完全に重なってしまった。いつもは自然発生的に起こる大歓声も聞かれず、ぼやきのため息だけが流れる。1秒、2秒と時が経っていくが、黒い太陽は姿を見せない。クソッ晴れてくれー! 皆既時間は1分57秒。やがてそのまま第三接触のダイヤモンドリングが。ああ〜これも見えない! 細い太陽がみるみる復元してきた。ああ、こんな不運があるのか。8回目の日食にして初めて曇ってしまった。しかも皆既の時だけ完璧に曇ったのだ。ヨーコはショックを受けてテントでふて寝。何もやる気が起こらなかった。ヒロシは残りの部分日食の撮影を第4接触の終わりまで惰性の如く続ける。

昼飯で配布されたコッフェルで、それを洗わずにそのまま夕食を食べる。夜は暗くなっても砂漠の地面が焼けていて断熱シートを通して熱が伝わる。暗くなって全天に星が見えるようになったので、星夜写真を狙う。熱心な数人はガイド撮影を試みたりしていたが、非常に残念なことにスタッフは発電機を回して、電球でテントを照らし、人口灯火を作っている。周辺を歩き回る人も懐中電灯を点け放題で撮影は困難な状態だった。ラッキーだったのは偶然初めて国際宇宙ステーションISSの通過を見ることが出来た。金星くらいの明るい天体がゆっくりと南下し地球の影に入って消えた。ヨーコはテントの窓を全開し寝ながら天頂付近の星空を見ていた。午前1時頃まで二人で観望し寝た。流星は約20個くらい見えた。北極星が高く、北斗七星の下方通過も高い。夜は15℃くらいまで冷えると聞いていたので、防寒用の対策はして来たが、セーターなどは出る幕なし。寝ていると地面からの地熱で背中が暑い。湿気はないが熱帯夜のようである。

 

8月2日(土)(第6日目)

5時半に朝食が出来てパンとコーヒーにした。昨日の車は砂のため動けなくなり、荷物はバスまで自分で運ばなければならない。 あとで空港で計ったら27kgもあった。運び疲れて途中で止まっていると添乗員が手伝ってくれた。この日はバスでジムサールを経由してウルムチまで650km の大移動。今までで一番長い。観測地でGPSを入れてスタートした。メモリの容量が足りるかどうか心配したが、結構記録できていた。昨日来た道を巴里坤(バリコン)まで戻る。そこから西に進路をとり天山山脈の北側を進む。 途中の山中で道路工事をしている迂回路で大型トレーラーが横倒しになり迂回の道をふさいでいたので、片側通行となる。こうなると中国のルールを守るモラルの低さから交互に通行するということが出来ない。かといって交通整理をかって出る人もいない。途中から高速道路(有料道路)が完成していて、バスのスピードは100km/hくらいに上がった。木台県のガソリンスタンドでミニ便利店(コンビニ)があり、一番安い買えるものを探した。チョコレート0.5元を2枚買った。トイレを借りたから・・。

昼飯は奇台県のレストランで、当然ながら中華料理(いやウイグル料理かも)。阜康を過ぎウルムチに近づいた頃、GPSのバッテリーがなくなった。キャンプ地を出てから10時間半が経っていた。仕様書では1回の充電で10時間だから、よく持ったものだ。ウルムチに着いて再び「海徳大酒店」にチェックイン2時間程の休憩時間にシャワーを浴びて、街の散策とスーパーに買い物に出る。ウルムチは高層ビルが林立する大都会で、地下街に入ったら警備員に手荷物チェックをされた。若者のファッションフロアーで店の作りや置いている商品も日本の都会と変わらない。こんな遠いところなのに、中国的雰囲気がない。

スーパーも近代的でオートマチックのコインロッカーがあり伝票のバーコードを読ませると鍵が開く。ヨーコは残り少ない元を全部使い切るべく、お土産を購入。

ウイグル自治区は公式には北京の標準時を採用しているが、地元では2時間の時差を入れたウイグル時間を使用する。朝は6時でも薄暗いが、夜は9時過ぎまで太陽がある。8時に夕食のためホテルを出て、バスで南部の国際大バザールへ行き民族舞踊のショーを見ながらのバイキング。モスクがありトルコに似た人たちとイスラム文化があふれていた。10時にホテルに戻り、11時にウルムチ空港へ出発。今回は、このホテルに1泊もせず、わずか5時間の滞在だった。空港はガラ空きで荷物も順調。ゲートは2つしかないが1つしか開けていない。

 

8月3日(日)(第7日目)

我々以外には韓国人のツアー客が多い。ソウル行きだから当然か。ウルムチ発午前2時25分のKE884便でインチョン空港着は8時5分。インチョン空港では買い物の時間もなく直ちに乗り継ぎゲートへ移動。仁川発9時15分のKE701便で成田に向け出発。

帰りはトラブルもなく順調。荷物も早く出てきたし、京成特急もすぐに乗れて我が家に到着。タイマー付き換気扇と扇風機がうまく作動して、締め切っていた部屋も案外涼しい。いつものジンクスで、我々が旅行から帰るとその地で事件が起こることがよくある。今日は、新疆ウイグル自治区のカシュガルで武装警察官がダンプカーと爆弾で襲撃され16人が死亡した。オリンピックの開催に合わせたテロで、ウイグルの独立を狙ったものだった。

確かに敦煌ではオリンピックの雰囲気を多少感じる場面があったが、ウルムチではオリンピックは全く感じることが出来なかった。

日食旅行としてダイヤモンドリングもコロナも見えなかったのは、返す返すも残念だったし、失敗の後はまったく何にも興味を失くしてしまうので、今回、先に敦煌を見ておいたのは正解だったかと思う。