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イースター島・タヒチ旅行 2010年7月10日(土)〜7月17日(土)
ここ2年間、不本意な中国日食となったので、今年はイースター島へ行きたいと思っていた。しかし事前の情報により、イースター島へのツアー募集は殆どなく参加が危ぶまれた。昨年12月になって阪急交通社が企画していることを知り早速インターネットで申し込んだ。ただし、イースター島では1泊もせず、タヒチからのチャーター機による日帰り弾丸ツアーである。でも日食でもなければ、こんな太平洋の孤島へ行くことは絶対にないと思い意を決した。結局1人62万円もかかったが、結果的にはうまく日食を見ることができて良かった。申し込みは昨年のトカラ列島のことがあったから相当な過熱競争を予想し、前年12月10日のWEB受付開始と同時に完了した。観測地はイースター島の空港の北2kmくらいのところにある「Colegio Hermano Eugenio Eyraud」という学校だ。
南緯
27°9’°西経109°25’°の地点、グーグルアースで調べると、中庭のある四辺形の校舎が見えた。1kmほどの地点にモアイの立っている世界遺産タハイ遺跡があるところだった。
7月10日(土)(第1日目)
東京駅経由で空港快速にて成田空港第2ターミナルビル駅へ、NEXだと少し早いだけで高い。今回もキャスターを取り付けて移動した。幸い午後出発で時間的には余裕がある。イースターでは滞在時間も少なく金を使う時間も場所も限られているから、US$のみ必要。金券ショップの大黒屋で前もって両替しておいた。銀行で両替するより手数料は安いようだ。今回はタヒチのホテルに荷物を置いて、観測に行けるので、大きなリュックに機材を入れることとした。
エアタヒチヌイ(TN077便)は週に1回か2回のフライトしかなく、JALのコードシェア便だった。11時間30分のフライトで南海の島タヒチに着いた。実はタヒチというのは一番大きな島の名前で国名ではない。独立国家ではなく仏領ポリネシアが正式な名前である。通貨はCPFというフランであり、上手い具合に1CPF=1円で非常に計算しやすいところだった。公用語はフランス語とタヒチ語で、機内アナウンスでは後英語と日本語が入る。日本語はJALのクルーだろうか。飛行中に夜になり、日付変更線を西から東に通過した。出発日の朝8時過ぎにタヒチ島ファアア空港に到着した。到着の直前、となりの
モーレア島の険しい山々が目前に迫った。
パペーテ空港の雰囲気はジョクジャカルタの雰囲気がする田舎の空港だった。歓迎のウクレレ演奏に迎えられて、バニラ?の白い花をもらった。ポリネシアというとグアムやハワイからかなり離れているが、民族や文化はほぼ同じ感じがした。
10時半にホテル(ル・メリーディアン・タヒチ)に着いた。チェックイン後、昼食を済ませ、出発の準備。何と忙しいツアーか。朝ついて夕方には再びファアア空港から出国。空港税が掛かるはずだ。イースター島への飛行機は300人乗りのやや小型、しかし機種は比較的新しい。照明もLEDランプが多用されている。それに比べて成田からのジャンボは機体が古いのか、設備は良くなかった。一応個別の液晶TVパネルは付いていたが、TVチャンネルが変わらなかったり、音がでないとか、読書灯が点かないなど不満多し。
7月11日(日)(第2日目)
朝の4時にイースター島マタベリ空港に到着。すでに雨が降った後で、何やら晴れるような気がしなかった。早朝ゆえ空港には殆ど人がいない。飛行機1機で
入国事務所はあっという間に一杯になり大混雑。普段はイースター島を訪れる観光客は少ない。飛行機でもらった入国審査の書類が古く、書き直しをさせられるとか、国立天文台のW先生の荷物が見つからないなど小トラブルがあった。小さな車に分乗して観測地の学校へ向う。この間も雨がぱらついた。教室で夜が明けるのを待って待望のモアイ見物に出かける。徒歩で約20分。大変寒くて持ってきた長袖パーカーとダウンジャケットが役に立った。防寒具と雨具が必須との事前情報があった。日食を見に来たのに雨具が必須とはどういうことだ。
モアイのあるタハイ遺跡に着く前に強い雨が降った。傘をさして歩いた。遺跡の入り口に着いたころには雨は止んだが、風が強い。太平洋にはさえぎるものがないので、いつも貿易風が吹き寄せて来るのである。早朝だったせいか、遺跡には人も少なく土産物屋がまだ店を広げる途中だった。
タハイには7体のモアイ像がある。5つ並んだ
六地蔵のような小型のものと、
1体ずつの巨大な
モアイだ。帽子をかぶったようなモアイ(
アフ・コリテク)には目が書かれている。丸の内で見たモアイにも目が入っていたが、もっと小ぶりだった。モアイ像は神聖なもので、付近は立ち入り禁止だし、手で触れてもいけない。しかし、日本なら当然あるべき柵が一切ない。どこまでも近付けてしまうので、要注意だ。近づき過ぎるとパトロールの人がいて、笛を鳴らしたり、サイレンを鳴らしたりして警告してくる。
ちょうど我々が着いたときにも、すでに何人かがモアイをバックに連続写真を撮るために、三脚をおいてカメラのセッティングをしていた。写真に人を入れたくないから、どうしても陣取りが前へ前へと拡大する。とうとう立ち入り禁止区域に入ってしまって、パトロールがメガホンで怒鳴りながら飛んできた。なかなか人は動かなかったが、意味が分かって20m程バックした。確かに小さな看板が1枚立っていて、その看板にはここより20m以内に入ってはいけないと書いてあるようだ。しかし、看板の字が読める時にはすでに立ち入り禁止区域にしまっているので、なんとも不思議だ。世界遺産だから柵やロープを設けていないというのも一理あるかも。
やがて雨も上がり、モアイには
虹が掛かっていた。
帰りにさっきの土産屋がオープンしていた。イースターでは時間がないので買えるものは買っておいた。高いと思ったがやむを得まい。
学校へ戻る途中にあった土産物屋スーパーがオープンしていたので寄ってみた。売っているものを確かめて、観測地に戻る。
雨もどうやら上がりつつあった。それでも機材の準備中に一雨来るシーンも。まあ、モアイが見れたし、はるばるやって来た甲斐はあった。
さて、日食が近づくと結構雲が切れてきた。第一接触は無難に過ぎ、時おり雲が通過する。いよいよ第二接触というときになってうす雲が掛かっていた。それでもダイヤモンドリングはきれいに見えた。後は順調に晴れて申し分なかった。昨年の反省から操作するカメラを減らしたので、4分41秒の皆既は十分長く感じられた。デジカメの暴走も起こらず、マニュアル露出の時間を変えて撮影することもできた。
うまく行かなかったのは、サイバーショットT-5の
ムービー撮影だ。テレコンバーターを付けたが、フォーカスが定まらなかったようだ。
帰国してから見てみたらピントが合わず失敗が判明した。第3接触が終わると、ヨーコは先ほどの土産スーパーへ物色に行った。一人で行って大丈夫かなと思ったが、ほどなく戻って来て、交渉決裂を告げた。そうだろうなオバサン同志では互いに譲らないから、買い物は成功しないだろう。オバサンは、まけてくれそうにない。
ちょうど、この頃ワールドカップサッカーの決勝戦が放映されていて、何人かの現地人が学校のテレビを見にきて歓声が上がっていた。
日食終了と同時に急いで荷造りし、空港へ向う準備。しかし、輸送手段が限られているため、40分くらい待たされた。
空港で時間待ちの間、ヨーコは売店めぐり。USドルとチリペソの関係が分からず値段が判断できない。書いてある数字(ペソ)の500分の1がUS$だと分かった。出発間際にバーカウンタの瓶ビールがモアイのチリビールだとわかって急遽購入した。
イースター島を出て6時間余りのフライトで夜8時再びパペーテに到着。10時過ぎにホテルにチェックインしたが。風呂に出遅れたため、お湯がなくなってしまった。300人近くが同時に入浴するとこんな事態になることに後で気付いた。外は暑いので、部屋のクラーはきつ過ぎて寒いくらい。温度設定は何と14℃になっていた。そんなに冷えるわけないけど。
7月12日(月)(第3日目)
昨日までの強行軍で、時差ボケもあって、本日は完全に休息日。日食が終わったので後は特に予定もなく終日自由時間。9時頃に起きて朝食。すぐに昼になり持ってきたカップヌードルと機内食のパンの余りなど、簡単にすませる。ホテルの売店と周りの状況の確認。白砂の
プールとプライベートビーチを下見した。ホテルの近くに「タマヌ」という名の地元のスーパーがある。インターネットで情報を得ていたから、すぐ分かった。近くに
薬局や医院、レストランなど数軒の店もある。夕食のサンドイッチと焼飯、水とビールを調達した。
ホテルは町から20kmくらい離れているので、ホテル以外に行くところがない。空港との間にカルフールのスーパーがあるが10kmくらいあるので、行くならタクシーしかない。明日のホテルのシャトルバスを予約した。パペーテの町まで往復1000CPF。
夜は、22時30分集合で南天星空観望会があるので、カメラと赤道儀を準備して出掛けた。集合したのは150人くらいか。観測地といってもホテルの敷地内で暗い場所ということで、昼間に行ったビーチだった。目の前の水上コテージと椰子の木に南洋ムードが漂っていて、風景としては良いが、やはり照明がやたら多く、天文向きではなかった。N氏を初め何人かの天文同好会の人が、星空観望会のインストラクターとして、望遠鏡を持ってきて星座の解説や、星雲の観望をさせていた。手ぶらの人や双眼鏡を持った人が大半。赤道儀にカメラを載せた人は10人以下で写真撮影をする人は限られていた。23時になると、ホテルの主な庭園内照明が消灯され、一部に雲が掛かるものの南天の素晴らしい銀河と星が見えた。
大半の人は最初の30分くらいでいなくなり、1時間を過ぎると残っている人はカメラ撮影をやっている人など少数になった。いつもそうだが、困ったことに写真撮影中に、懐中電灯を照らしながら覗きにくる人がいること。自分が歩くのに足元を照らすならまだ許されるが、カメラを照らされると頭に来る。わざわざ少しでも暗いところを選んで暗い中で作業しているのだから、見に来ないで欲しい。
実はデジカメで天体写真を撮ったことは殆どなく、本格的にトライしたのは初めてだった。この夜は現地の下見とカメラ操作の練習がメイン。12時には切り上げて部屋に戻った。ヨ−コは昼間のお疲れで星空はパス。
7月13日(火)(第4日目)
この日は予約していた朝9時のシャトルバスで市内観光に出かけた。ホテルの前にトラックを改造したル・トラックと呼ぶ乗合バス風の
バスが止まっている。てっきりこれで送ってくれるものと期待して、乗り込んだ他におじさん3人が同行の様子。暑いので窓を開けたら、女性ドライバーが降りろといってきた、
小型のワゴン車に乗り換え、女性2人も加わって乗客は8人。シャトルバスと言いながら、車はツアー会社の普通の車で、別にホテルの名前が付いている訳でもない。観光案内所のある広場で降ろされ12時5分出発と言われた。言われたように思う。実際は5分前と言ったのかも。後に、これが微妙に気にかかる。実は帰りに1人足りないまま車が出てしまった。まあ、タクシーを使えば帰れるから心配しなくてよいだろうが・・。
まず、マルシェと呼ばれる
市場へ行き、次に
郵便局に向う。ラッキーなことに日食記念絵葉書が発行されているのを
ポスターで見つけ早速購入。バイマショッピングセンターへ行き、さらに地図にあった少し遠いスーパーがあるようなので、暑い中を1kmくらい歩いて探した。残念ながら潰れていたのか改装中で店はなかった。やむなく海岸通りをショッピングセンターまで戻り、日食記念グッズのチラシに引かれて日本語ショップ「タヒチ君」で土産を購入。高いとは思ったが、後でマルシェへ行くと予想通りであった。面白かったのはマルシェでここは地元の人向け庶民市場。観光客も来るが高くはない。昼メシのサンドイッチを買って、わずか200円程度。物価が高いと言われるタヒチだが、食料品は日本に比べて安い。
昼からはホテルに戻って休憩。もちろん「タマヌ」に行ってビールと食料を調達。明日はフランス独立記念日なので全ての店が閉まると聞いていたから、「タマヌ」は午前中は開いていることを確認した。
午後はプールと海で水泳、といっても泳ぎはヨーコのみ。
カヤック(2人乗りカヌー)を借りてトライ。何やら宣誓書にサインさせられて救命胴衣とオールを借りる。カヤックは浜まで運んでくれた。遊泳地区から離れた左手の海岸。最初は恐る恐る漕ぎ始める。しばらくやっていると要領が分かってきてうまく進むようになる。なかなか面白かった。
夜はまた10時半集合だが、少し遅めに直接海岸へ行った。雲が多く、水蒸気でボヤッとしている。何人かは今日も来ていたが、人は少なく、昨日のような説明会はなかった模様。12時まで適当に写真を撮りながら星空を眺めた。
7月14日(水)(第5日目)
この日はオプショナルツアーに行かない人はどこにも行けない。我々は予定していたタヒチ博物館に向った。ホテルの近くにあることは、空港からバスで来る時に、ロータリーの道路標識を見て分かっていた。歩いて行ける範囲だと思われた。朝10時、まず明日の半日島内観光ツアーを予約してから出発。日本で受け付けている島内一周1日ツアーは昼食・日本語ガイド付きで1万8千円。全周100km余りの小さな島なので一周しても1日もかからない。
地図がないので、ツボッてしまった。ロータリーまで行って看板を確認しようと思い、曲がり角から約200mオーバーランした。午前とはいえ暑い中での外出はこたえる。実際にはタヒチ博物館は海に突き出た岬の先にあったので、歩くとかなり遠かった。1km以上歩いた。不思議なことに目立たない未舗装の田舎道を、車がどんどん追い抜いていく。もちろん歩いている人間は我々二人だけ。休日で行くところがないから、みんな博物館に行くのだろうか、途中にフランス国旗を掲げた行政施設があった。博物館に近づくと車が渋滞し、その列はどうやら博物館の駐車場へとつながっていた。道の両側は路上駐車の車で一杯。もちろん博物館の駐車場は満車。行ってみて事情が分かった。何やらお祭の行事をしており、その見物人が大勢押しかけているのだ。我々も博物館は無視して、会場へ向った。
ちょうど
槍投げ大会が始まったところ。カラフルな民族衣装を身にまとった女性が次々と手製の槍を空中に立てられて椰子の実の
的に向って投げている。
高さ10m、距離は20mくらいだろうか。なかなか勇壮な競技だ。司会の男性がマイクでしゃべっている。どうやら1人で10本の槍を持っていて全部投げれば終わる。
槍投げ競技に出ているのはタヒチのポリネシア人で、見物、応援しているのは白人が主体。投げ終わったら運動会の玉入れのように的の
ポールを倒して椰子の実を付け替える。命中した槍を回収して名前を読み上げる。投げる方向が狂えば危険があるが、間近に見れて面白い。
次にあったのが、男のココナツ投げ大会、片方の手に手鍵を、もう一方の手に棒をもち、椰子の実を引っ掛けて手を振りながら棒で手鍵をたたく。ココナツが抜けて飛んでいく。選手が並んで15mほど前方の半分に切った
ドラム缶に投げ入れるのだが、なかなか入らない。制限時間内に多い人は2個くらい。こちらの司会者は女性で、マイクで選手紹介などをやっている。
この公園はすぐ海のそばで、ちょうどこの付近のみが環礁のないところで強い波が直接押し寄せている。
十分楽しめたので、タヒチ博物館には入らず、前で写真だけを撮ってホテルに戻った。帰り道は順調で、昼で閉店間際のタマヌに寄って食料の調達。果物は1kg単価の量り売りで安い。
昼から、足ヒレを借りて持ってきたシュノーケルをやる。浅い浜辺だが、魚も見える。コテ−ジの柱には小さなイシダイのような魚がいた。メジナのような魚、色が黄色いものなど5種類ほどの魚を見つけた。シュノーケルの後は、カヤック。今日のカヤックは昨日とは違うタイプ。どういうわけか操縦が難しい。ヨーコが苦戦するが、全く前進せずに回転ばかりする。疲れて浜に乗り上げて休もうと思ったら、ご親切にも外人の兄ちゃんが濡れながらもカヌーを海に押し返してくれた。この日は潮流が早く浮いているだけで、流される。岸に向って泳いでいたが30mぐらいは横に反れてししまう。
部屋に戻って休息。夜はまた11時に撮影に砂浜に出る。ヨ−コは昼間のお疲れで星空はパス。
7月15日(木)(第6日目)
9時15分島内一周ツアーに出発。白人のおじさんが車(バン)で迎えにきた。我々二人だけではなく米国人の婦人が一人同行。ガイドの英語は主としてアメリア人に向けられたので、気が楽だった。島を左回りに周る。まず最初はマラアの洞穴。舗装された外周道路を少し外れるともうすごいジャングルだ。やはり熱帯の島である。
洞穴といっても中に入るわけではなく外から入り口を眺めるだけのこと。特筆すべき見るものなし。次は
ゴーギャン博物館。美術館ではないところがミソ。ゴーギャンが持ってきた道具、カバンやミシンなど暮らしぶりが展示されているが、美術品は一切無し。ゴーギャンの作品は世界中の美術館に散在している。ここにはレプリカのみで本物は全くないのだ。客もまばらでゆっくり見学した。隣には植物園がある。タヒチ島一周といっても、一部繋がったタヒチイチ島へは行かない。周るのはタヒチヌイ島のこと。そういえばイースター島は島の名前をラパヌイという。ヌイとは大きいとの意味。
次に東海岸へ出てファアウルマイの
滝に。外周道路から内陸部の狭い道に入っていく。もしレンタカーであればとても見つけることは出来なかったと思われる。ホテルに着いた時、レンタカーの案内を探したが無かった。このホテルでは誰も借りる人がいないのだろう。
この滝は、山合いの目立たないところに突然現れたが、高さは100mもある大きな滝だった。那智の滝の規模だが人も殆どいなくて土産物屋も食べもの屋もない。ガイドは滝まで着いてこなかった。次に潮吹き岩、これはどんなところにもあるもので、前にテニアン島に行ったときにもあった。大波が来た時に岩の隙間からしぶきが噴出す。道路わきの岩がわずかに濡れているが波が弱くて見るべきものなし。
最後にパペーテの港を一望できる
丘(One Tree Hill)に登る。キャプテンクックが来た時に1本だけ木があったというのが由来。空港近くのSofitel Hotelに寄って米国人を降ろし、ホテルに戻る。
さっそくタマヌで昼メシと夕食を調達。
この日もまた、足ヒレを借りてシュノーケル、昨日よりも潮流が早い気がする。魚を見たあと、カヌーを借りる。昨日のカヌーは最悪だったので、初日に借りたタイプにした。今日のカヌーは調子良かった。かなり遠いところまで漕いで数往復した。ビーチの近くは水がにごっていて、良く見えないが人の来ないサンゴ礁では水が透明できれいに底まで見える。水中カメラがあればと思った。
滞在中に円高が少し進み、ホテルのレートで1CFP=¥100だったのが帰る前は\98になっていた。
7月16日(金)(第7日目)
いよいよ旅行も終わり。午前3時15分にモーニングコール。4時ホテル出発。これから13時間のフライトで日本へ帰るだけ。今回のような1箇所に滞在する旅行も悪くはないと思う。初めはすることがなくてどうして時間をつぶすか心配したが。リゾートホテルでは何もせずにゆったりしているだけで心身の保養になると思う。飛行機では殆ど寝ずに起きていた。時間的にはそのままゆっくりとその日の午後に
成田に着くような感じだが、実際には途中で日付変更線を横切って、一挙に17日(土)となる。到着前に梅雨前線を通過するかと思ったが全然揺れず、梅雨は明けたのかも。
7月17日(土)(第8日目)
13時15分無事に成田到着。行きと同じJR空港快速で東京経由にて帰宅。空港駅を出てからすぐに京急の特急に追い抜かれた。日暮里までの新路線が本日開業したことを帰ってからのTVニュースで知った。2本しかない高架の上で横を追い抜かれたので変な感じがした。