ヨーコとヒロシのグアム島旅行 1986年4月4日〜8日
3月にハレー彗星を見るため、本州最南端の潮岬まで行ってみたが、今一つ高度が低く大彗星の迫力がなかった。次のハレー彗星の回帰は86年先であるから、今見ておかなければもう見ることはない。4月中旬まではまだ明るいので、出来るだけ南へ行くため、思い切ってグアム島に行くことにした。
グアムのツアーを探し、JTBのツアーを見つけた。前後機中泊の3泊5日。出発の数日前に、ヨーコがバイクで転んで右腕を怪我したが、それでも旅行には行くことになった。春休み中だったので、子供3人は神戸の実家に預かってもらうことにした。
4月4日(金):第1日目
大久保発の近鉄で、京都駅八条口発の空港バスで大阪伊丹空港へ向かう。このグアム島ツアーはマリンレジャー主体のツアーで特に天体観測目的のツアー客はいない模様。夜8時過ぎに出発し、機中泊だが、4時間もかからず夜中にグアム島に着く。
島が近づいて来たころから、窓から懸命に星を探す。太平洋のど真ん中なら人工灯火もなく、さぞ暗いだろうと期待した。ところが急に周りがボーっと明るくなって水蒸気でもやっていることがわかった。何とグアム島についたのだ。真夜中でもまばゆいくらいに島全体が照明されている。ひどい光害で電気の無駄使いだ。夜中の2時ころにタモン湾に面した日系のホテルオークラにチェックイン。
4月5日(土):第2日目
夜中についてすぐの強行軍だが、朝食を済ませ、バスにて市内観光。ホテルから北へ行き、恋人岬で写真を撮った。今度は街に戻ってきて、アガニアの中心街へ。独特の形をしたラッテストーンの公園、スペイン広場、聖母マリア大聖堂、スペイン総督官邸、横井庄一さんが洞窟生活を送っていた時の道具類を展示したグアム博物館。日本軍の防空壕跡、巨人軍がキャンプで使うパセオ球場などもあった。岬の先には小さな自由の女神像が建っていた。ブーゲンビリアの花が咲き乱れていた。ホテルに戻ってから、プライベートビーチで泳ぐ。サンゴの島だからいたるところにサンゴのかけらがあった。
夜食は近くのチャモロのポリネシアンショー。モスキートダンスを見て、日本語で青葉城恋歌を歌ってくれたのでこの時に覚えた。夜に特別にハレー彗星を見に行くオプショナルツアーが企画されて9時か10時にホテルからバスが出た。それでも3台のバスが出て、適当に暗い場所に案内された。当然、カメラと懐中電灯を持って出かけたが、近くの川岸と思われる場所へ案内された。各自思い思いに星を探し眺めるが、天文知識のない一般の人が殆どで、南天の空を楽しむような人は稀である。空はうす白く明るくボーとしている。懐中電灯をもってウロウロする人も多く、とても写真は撮れない。30分もすれば殆どの人は、バスに戻って帰ってしまった。3台目の最後のバスがまだ残っているが、暗くて何人がまだ残っているのかも分からない。置き去りにされてしまう可能性もあったので、周りの人達がバスに戻る頃を見て我々も帰った。結局、粘っても1時間半くらいだったと思う。
4月6日(日):第3日目
この日は自由行動で、島を一周するためジャパレンでレンタカーを借りた。グアムでは日本の免許証で運転できると聞いていた。借りた車は白いカローラ、ただし左ハンドルだったので、しばらくゆっくり練習し、グアム島を一周に出発した。車は右側通行で直線運転は問題ないが、右折と左折は全く様子が違う。左折が難しい。左折した後で、すぐに左側レーンに入ってしまいそうになる。まず行ったのはグアム大学。多分島内で唯一の大学。大学の生協ではお土産グッズも売っている。ステッカーと文房具を買った。中古の教科書?も売っていた。再利用される模様。
島の北側は米軍基地であり、グアム大学から東海岸を南下、島の半分を回る。途中、セブンイレブンがあったので、コーラを買う。ビールもあったがコーラと同じ値段でタロフォフォの海を見て、さらにイナラハンの天然海水プール、ウマタック、アプラ港を回ってアガニアに戻る。夜に観測に来るつもりで適当な場所の下見も兼ねていた。
昼飯はKマートへ行き、リトルシーザーズピザステーションと言う店で二人でピザを食べた。ところが、大きさを考慮しなかった為に、とんでもないことが起こった。日本の感覚で考えたため、私がlarge, ヨーコはsmallと二人で別々に注文した。ところが、何とLargeでは4人前、smallでも2人前くらいの量があって、注文した時に店の人もビックリしていたが、テーブルに実物が出てきた時は、まったく笑ってしまった。近くには馬が食らうぐらいの馬鹿でかいサンドイッチを一人で平らげている人がいて、彼等の胃袋の大きさには驚いた。とにかく3分の1くらいしか食べられず。さらに二人ともムキになって頑張ったのだが、半分も食べ切れない。ついにギブアップして残して帰った。値段からすれば大で1100円くらい、小で800円くらいだったと思う。店の人が包んで帰ったらといってくれたが、もう二度と見たくもない気分でうんざりだった。そう言えば、壁には実物大のピザの大きさの丸が書いてあった。GiantからBabyまで5段階あって、Babyで十分だった。Smallならば二人で1つを頼めば良かった。ピザを分けて食べるという発想がなかった。
ホテルに戻って、しばし昼寝の後、夜になって、車に撮影機材を積んで出掛けた。グアム大学から東の海岸を南下しつつ適地を探す。海岸の近くで車が止められそうな所を見つけて、50mくらい歩いて海岸へ。早速撮影開始。確かに高度は高く良く見える。思ったほどのすごさはなかったが、それでもボーとした彗星が目視できる。核の大きさが面積をもっていて大きい。しかし尾は余り見えない。太平洋の海のざわめきが生温かい風に乗って響いてくる。
近くに車がやってきて止まった。二人の人間が懐中電灯を照らしながら、我々の車を調べている。どうやらパトカーのようだ。やがてこちらの方に近づいて来た。写真撮影中なので、海岸に我々がいることを知らせるために、二人で会話し懐中電灯をつけた。向うの二人はこちらを照らしながらやってきた。やはり警察官のようだった。怪しまれないように、こっちから「日本からハレー彗星を見るためにグアム島に来ている」と話しかけた。
あの車はお前たちの車か?と聞かれ、そうあれは我々のレンタカーだと説明。ハレー彗星を知っているか、あれがハレー彗星だと教えてやった。やがて納得したらしく、戻って行った。それにしてもグアム島の田舎で、夜の時間に警備しているとは、この国の治安の良さに納得した。この時、ここが墓地のそばであることが分かった。おそらく昼間だったらここはパスしていただろう。ヨーコにはこのことは言わずに、しばらく撮影を続けた後、ホテルに戻った。
4月7日(月):第4日目
最初は予定していなかったが、オプショナルツアーでココス島半日観光に参加した。ツアーバスが出るまでにレンタカーを返却しなければならないが、時間が早く返しに行けない。ツアーガイドにそう伝えたらレンタカー屋に電話して、ホテルに取りに来てくれることになった。24時間までに支払いが必要だろうと思い、JCBカードをホテルに預けてバスに乗った。サインは戻って来た時にするからと伝えておいた。ところがバスの中でこれに気づいてくれた男性ガイドが慌ててホテルへ戻ってカードを取り戻して来てくれた。そして、ここではカードは財布と同じで絶対人に預けてはいけないと注意された。まだサインをしていないからと言うと、サインなど必要ないし、人に渡したカードは絶対に戻ってこないと言われ、無知な自分が恥ずかしかった。実際JCBカードは義父の勧めで持つだけは持っていたが、カードで買い物をしたことがないし、サインをして初めて有効になるものだと思っていた。むしろ逆にこんな安っぽいプラスチックカードで本当に買い物ができるのか不思議だった。
ココス島は島の南端にある。途中のウマタックでマゼラン上陸記念碑、ソレダット砦に立ち寄り、船でココス島へ渡る。ココス島は完全にレジャーの島で、チャモロ人の歓迎を受けて上陸。ヨーコは怪我のため泳ぐのをやめていたが、初めてのジェットスキーにトライ。サンゴ礁の内海を3回ほど周って来た。初心者用に転覆防止のフロートが付けられていたため、傾かず返ってハンドル操作が難しそうだった。ここで共栄産業のハレー彗星観測ツアーが観測場所を設置しているのを見つけた。ココス島の遠浅のサンゴ礁の海は非常にきれいで南海の楽園そのもの。
ホテル戻って近くを少し歩く。横井さんの博物館で大きなヤシガニのはく製を見たが、道路沿いのヤシの木のそばで本物のヤシガニを見つけた。馬鹿でかいヤドカリのようだった。行かなかったが、グアムには実弾射撃場があって観光客がピストルを撃っている。
4月8日(火):第5日目
例によって、夜中に飛行機が着き、早朝に出発。午前中に大阪空港に帰着