☆ヒロシとヨーコのインドネシア旅行(1983年6月8日−14日)
ヒロシにとっては2回目、ヨーコには初めての海外旅行であった。皆既日食はもちろん二人とも初めて体験する天文現象である。東亜天文学会のツアーを多く扱っている広島のH電観光が主催し、費用は1人33.5万円、3月26日に大阪で説明会があった。この旅行には天文OB会からも他に6名が参加した。
6月8日(水):第1日目
5時前に宇治を出発し京都から空港バスで伊丹空港へ。空港10万円をUS$410に両替、レートは$1=\244.75。空港国際線で天文仲間と合流。全部で39名のツアー。13時15分発シンガポール航空SQ5便でシンガポールへ。さらにシンガポールからさらにジャカルタ行き21:00発のSQ210便に乗り継ぐ。
夜中にジャカルタの空港につき、飛行機を降りたとたんに、ムッとした異常な熱気を感じ、まさに熱帯に来た!という印象がした。日本の梅雨も湿っぽいが飽和水蒸気の熱気で息が詰まりそうな感じであった。バスにてホテルへ直行。一応はジャカルタで一泊。いや0.3泊
6月9日(木):第2日目
殆ど眠る時間も取れずにモーニングコール、早朝の飛行機(国内線)6:30発のガルーダ航空GA430便にてジョクジャカルタへ向かう。1時間のフライトで着いたジョクジャの空港はいかにも田舎の空港という佇まいであった。バスは2台で迎えにきていたが、1台は大きく(普通)でもう1台はマイクロバス。この日は直ちに観測予定地であるボロブドールの遺跡を見学。広大な石造りの仏教遺跡だ。仏塔に登っていくとヨーコの赤いサンダルに現地の観光客の女の子達の視線が集中。彼らは裸足に近いゴム草履のようなもの。赤とサンダルが珍しかった模様。周辺の丘が観測場所なのか、見晴らしの良い丘に便器がポツリと置いてあり、やしの葉を立てかけただけで丸見えのトイレ。テレビ中継するために、カメラの足場を組んでいた。暑いので、冷やしたジュースや氷水を売っている。
ボロブドールはジョクジャから北西に42km、周りをジャングルに覆われた巨大な遺跡で高さもある。ボロブドールほどの規模はないが、同時期に作られたムンドゥットの遺跡も見学した。ここには小さなストゥーバがある。ここでも露天行商の土産屋が群がってくるが、それほど強引ではなかった。
我々が泊まるホテルはこの町で一番高級と思われるアンバルクモ・パレス(シェラトン)。当然、冷房完備で部屋も広く、食事も良い。インドネシアでも立派なホテルがあると思った。ホテルにはプールがあり、ヨーコは早速プールで泳ぐ。夕食時はここのホテルで優雅に生演奏のガムラン音楽を聴く。独特の音色とメロディーだ。ホテルは快適。
6月10日(金):第3日目
この日は終日自由行動の予定であったが、バスを出してくれることになり、午前中から、バスにてジョクジャの市内観光。市内から東へ16km離れたヒンズー教の寺院遺跡プランバナン遺跡を見学。ボロブドールとは違った尖塔がある。プランバナン寺院の周辺には多くの寺院遺跡があって、修復中だ。カラサン寺院、セウ寺院などを見た。この日もホテルはアンバルクモ・パレス。ホテルに戻り、街の観光に出る。移動手段は「ベチャ」と呼ぶ自転車タクシーが主体、ものは試しと少しだけ乗る。言葉が通じないから行き先と値段を先に決めて交渉するのが大変だ。少しだけ乗ってホテルの前で代わりに漕がせてもらった。運転手はベチャを乗っ取られるのかと思い一瞬慌てた。大人二人を乗せて動かすのは相当重い。現に年寄りのベチャは遅くて喘ぎながら進んでいる。時代が一度に20年くらい遡った感じ。
H電のツアーの説明では、関東から来たべつ日程組のグループもあり、公平を期すために明日はホテルを交換すると説明していたが、実際はホテルが取れずに、民宿というか簡易宿泊所しか取れなかったのである。そこは名前だけは「プラヨゴ・ホテル」と言う名前だが、日本出発の前から相当ひどい施設であることが事前説明され、交代することも了解されていた。今日の下見で観測地の様子は分かったが、日食の明日の天気予報を巡って議論続出。今年は異常気象のため例年5月で終わる雨季がまだ終わらず、天候はよくない。昨日も今日も少し雨模様。明日はどこへ行こうか、ボロブドール寺院での観測をやめてプルヲルジヨに変更した。天気図があれば気象庁のU氏に予報を頼むが、この地では気象情報すら入らない。出来るだけ南に移動する方が晴天の可能性が大きいとのことで、よってプルウォルジヨに行くことに決めた。
夕食は近くのレストランでインドネシア料理のバイキング。焼き飯のようなナシゴレンやサテーという焼き鳥など結構口に合う。
6月11日(土):第4日目
朝4時半の恐怖のモーニングコールで阪大グループ8名は、他のツアーメンバーと別れて、単独で英語ガイド付き専用車を確保できた。K本氏の交渉力に感心。ツアーの人達は予定の観測地に向かう。我々の専用車はオンボロでもベンツのマイクロバス。我々だけなので希望すればどこへでも移動可能だ。今日はいよいよ日食本番。やがて2時間で観測地に到着。インドネシア軍が守っている指定地域へ合流した。すでに他の観測隊も集まっている。ここは広いグランドのような観測地で有料だが警官が守ってくれているので安全は保証。トイレも完備、手桶で水を流す水洗タイプ。個室にはきちんと戸が有る。ここで偶然にもY岡夫妻に出会った。彼等は申込みが遅れたため、別のツアー会社でしかも補欠だと聞いていたが、うまく取れたようだ。昨日の夜からこの地で星を見ながらキャンプしていた。
東京理科大の人達や他のグループが準備を始めると緊張感がみなぎってきた。食分80%を過ぎたころから涼しくなってきた。やがてあたりが夕方のように薄暗くなり、いよいよ太陽は細くなる。理科大のカウントダウンが始まる。観測のメインは回折格子を使ったフラッシュスペクトル写真。ヨーコは双眼鏡と目視の観望。温度の観察。シャドーバンドを見たらしい。後で、今回のシャドーバンドは薄かったとの木辺さんの弁。ゲルハナマタハリの記念ビールで乾杯。ココヤシジュースを飲んだ。初めて見るコロナの美しさに感激し、日食中毒にかかる。興奮冷めやらず、今夜は、問題のプラヨゴ・ホテル。コテージ風平屋の簡易宿泊所で、もちろん冷房はなく、窓を開けて、廊下と通つう。硬い薄っぺらなベッドで頭のとこに小さな扇風機が一晩中ブンブン回して唸りっ放し。壁は白壁で天井は高い。部屋に冷蔵庫はなく、飲み掛けのお茶を入れておくためのフタ付き湯飲みがあるのみ。風呂はなく、手桶で行水する。トイレは洋式便器で便座なし。一部欠けていた。水は手桶に汲んで流す。文明国から非文明国にきたようで、逆に強烈な思い出が残った。普通ならこんなところに泊まろうと思っても泊まれない。
6月12日(日):第5日目
木辺先生と同じテーブルで朝食。先生はゆで卵の割り方が独特、テーブルの上でゴリゴリと転がして一周させる。市内ではバティックや銀細工の市場をみて、バティックの製造工場を見学。高級店は冷房入りできれいが値段も高い。ガイドのモコさんの案内で水の王宮の見学へ。王宮を出ると小さなバティックに案内された。モコさんのお母さんがやっている店だった。感謝の気持ちで買い物。プラヨゴホテルに戻るとテレビで日食のニュースが流れていた。プラヨゴホテルの食堂のテーブルにはインドネシア模様の青いバティックのテーブルクロスがあって、これをヨーコが気に入った。同じものを土産に探すがない。ホテルのおばさんに交渉して、これを売ってくれと言ったが、売ってくれない。交渉に難航し、もう出発の時間も迫っており、USDでいくらか払ってそのまま持って帰った。
ジョクジャ空港から15:15発GA439便にて再びジャカルタに移動。18:15発SQ209でシガポール20:45に到着。ホテルはオベロイ・インペリアル・シンガポール。
6月13日(月):第6日目
シンガポールは高層ビルが並ぶ大都会である。ホテルはやや高台にありいいホテルだった。しかしながら、どうした訳かヒロシは朝から体調不調。午前中はシガポールの市内観光で、タイガーバーム公園、ワニ園。植物園を見学する。一旦、ホテルに戻るが下痢のためホテル内で待機状態になる。午後から少しましになったのでヨーコと外出。ホテル入口のインド人のボーイさんと記念写真。シンガポールは中国人が多い国だが公用語は英語。下町の通りを歩くととても賞品価値のないようなガラクタが道に並べて売っていた。壊れた扇風機とかけっして骨董品ではなく生活用品だ。スーパーへ行って買い物。土産物もスーパーの方が面白い。
6月14日(火):第7日目
最終日、シンガポール空港から10時00発SQ6便にて大阪伊丹空港へ。17:15大阪空港着。ところが、ここで思わぬトラブル?が。入国事務所を抜ける前に、帰国者で発熱、下痢をしている人は検疫所に申し出て下さいと書いてあったので、シンガポールで下痢をしましたと告げたら、みんなと違うところへ連れて行かれた。何でだろうと思っているとスティックをくれてこれに便をつけて出して下さいとのことで便所まで案内された。急にそんなこと言われても出るわけがない。やむなくウンウンうなりながら気張っていると、何と係官は個室の前まで付いてきて、外からまだですかぁ〜と怒鳴っている。まだで〜す。と答えるが、焦ってしまって出るものも出ない。するとまた「まだですか〜」。5分くらいは経っただろうか、「出ません。」「それならお尻に入れるだけでいいです」って。何でそれを早く言ってくれなかったのか!一緒に先に入国した連中は、心配そうに待っていた。
後日談、数日経って大阪の検疫所から検査の結果異常のない旨の報告が届いた。