イタリア旅行 1995年8月13日(日)−8月20日(日)
「まるまるイタリア8日間」近畿日本ツーリスト関西メディア販売事業部
8月13日(日):6時起床でバスでJR宇治駅へ。前日に久々に長男と次男が揃って帰ってきたが、この日は顔を見ないまま出発した。関空特急「はるか」の指定は取れていないが、立ち席特急券で乗ることにした。しかし、乗り継ぎ時間は殆どなく結局電車に飛び乗ってから車内で特急券を購入。京都発はガラガラであるのに結局は空港まで1時間18分立ち詰める。ヨーコは2階の東京銀行でイタリアリラに両替。11時35分発KLM868便で出国。約12時間のフライトにてアムステルダムのスキポール空港へ、さらにKL347に乗り継ぎ、ミラノのレナーテ空港に到着。EC圏では珍しく入管でスタンプを押してくれた。ホテルに着いたのは20時半頃だが、サマータイムの為に暗くなったのはもうしばらく経ってからだ。ホテルはミラノ駅の南西300mぐらいの場所にある、名前だけは立派な
ROYAL HOTEL。14日(月):朝は食事を取らずにミラノ駅へ、駅の大きさと終着駅のターミナルを見せておきたかった。朝にも拘わらず結構店も開いており、見ているだけでも楽しい。団体旅行を離れて、しばし単独行動。駅のスーパーで買い物して、カフェバーで朝のサンドイッチとカプチーノで食事。予定していた「最後の晩餐」のサンタマリアデラグラッツィエ教会があいにく休館日だったので、ツアーの市内観光に同行し、ドゥオモ、スカラ座、スフォルツァ城を巡り、午後は高速道路をベネチアへ向かう。この辺りはイタリアでも穀倉地帯で見渡す限りの平原が続く。高速道路は直線的で景色は単調である。途中でロメオとジュリエットの舞台となったベローナで小観光。大して見るものはないのだが、バスでの移動ではちょうど都合の良い観光地なのだろう。ベネチアのホテルは
HOTEL CONTINENTAL という大げさな名前のついた小さなホテルである。しかし、見かけ以上に奥行きの深い複雑なホテルで迷路の奥に変な中二階の部屋があり、建て増し続きであった。でも商店街の路地に面した便利な場所にあった。夕食までに時間があたので土産屋を覗きながら少し歩いたら雨が降る気配。慌ててホテルまで戻って、ホテルの前の宝石屋が目に入った。食事時間だったので一番遅れてレストランへ。うまくないスパゲッティと魚だった。食後に例の宝石屋を覗いたらまだ開いていて、ヨーコの気に入りの指輪を買った。15日(火):ホテルでの朝食をパスして、朝から国鉄FSのサンタルチア駅へ行った。家に電話をしたら次男が出てきた。帰ってきているようだ。イタリアの公衆電話でテレカを使ったのは初めてだったが、ダイヤル直通でしかもホテルで掛けるより安いので便利である。駅を出た橋のたもとのカフェで二人でカプチーノと朝食を取った。ホテルからタクシー(船)でサンマルコ広場へ、9時にイタリアとベネチアの国旗掲揚式があり、偶然に見ることができた。毎日やっているのかどうかは分からないが、イタリアの兵隊が整然と行進してきた。このあとドゥカーレ宮殿の博物館に入り、宮殿の内部や議会、裁判所、刑務所などを見学した。サンマルコ広場も冬場になると時々水没するらしい。検潮計の記録が張り出されていた。
ドゥカーレ宮殿内には宮殿の美術品と共に、議事堂や裁判所もあり、武器や武具の展示もあった。地盤の沈下もあり、石材の使用量を減らして木材を多用していた。その後、ベネチアングラスの工房を見学し、途中で抜け出してリアルト橋を見に行った。ゴンドラによその2人と相乗りで乗って運河を巡ること約40分。昼前ではあったが、のんびりと平和な異国情緒を味わった。出来れば2人で乗るに越したことはない。降りた時にチップを10000リラ(約600円)渡したら、ヨーコが多すぎると文句を言っていた。昼飯はベネチアのシーフードと思いきや、食べ物がまずくてうんざりだった。イカ墨のスパゲッティとなんとポークカツ、レストランテはれっきとしたシーフードレストランなのに、団体旅行のいやな面が出ている。ミラノでもスパゲティとポークだったような気がする。
昼食後サンマルコ広場から水上タクシーでバス乗り場へ、美しいベネチアを後にフィレンツェに向かう。ベネチアの町並みは昔の面影を残しているだけで今は使われていないような建物が多かった。フィレンツェに向かう途中でパドゥバに立ち寄る。名前は忘れたが中庭のくっ付いた大きな教会があり、それ以外には特に見るべきものはなかった。ガイドブックによれば
1222年創立の古い大学がある筈だ。フィレンツェに着いたらまずミケランジェロ広場に登って市街地を見る。早めについたのでゆっくりできた。夕食はホテルエクセシオールからそれほど遠くない別のホテルのレストランだった。トスカナ料理の○○(名前を忘れた)が出た。ワインはもちろんキャンティワイン。残念ながら藁かぶりのボトルでないハウスワインであった。この夜のホテルはモンジネブロ、前に会社の部下と共にメナリーニに行った時に泊まったことがあるホテルであった。1986年の秋だったと思うから9年前のことになる。あの頃は日本人の団体が泊まるようなホテルではなかったと思うけれども、逆にあの頃はまだパックツアーがそれほど普及していなかったのか?16日(水):フィレンツェ市内観光。朝はホテルで済ませ、8時には出発。ウフィツィ美術館へ行くためだ。美術館は9時からだが、8時20分から並んだときには既に相当に長い行列が出来ていた。去年テロ事件で美術館の一部が爆破されたが、それらしき部分が修理中だった。行列の大半は日本人の団体であったが我々のすぐ前にはドイツ人の学生と英国人の学生がいた。ウフィツィの目玉は、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」と「春」でどちらも人気の的であった。美術館に入るまでは団体に同行したが、あとは自由行動、しばらくすると駆け足観光の日本人団体はいなくなってしまい、ゆっくりと見物することが出来た。特に気にいったのは美術館のカフェが屋上にあって、ベッキオ宮殿のすぐ眼前に位置しており、建物を間近に見ながらカプチーノを飲めたことだ。美術館の出口で買い物をして、シニョーリア広場へ、市役所の中を少し見て、ドゥオモに向かう。ドゥオモでは463段の階段を登って、クーポラの先端にまで登った。石と石との隙間をくぐり抜けるようにして、狭い通路を登るのだ。特に天蓋の中は人一人しか通れず、登りと下りの人が交叉するので、すれ違いにかなり時間がかかる。天蓋の内部の縁から下を見おろすと約80mぐらいの高さがあり、ヨーコは急に高所恐怖に陥ってしまった。頂上からのフィレンツェ市街の眺望はすばらしく、風が涼しかったのだがあまり長居はできなかった。
次に行ったのが、ポンテベッキオで橋の上の両側の宝石店には目を見はるものがある。昼飯はカフェグリルでピザとサンドイッチにビール。このあとピッティ宮殿に行き、パラティーナ美術館に行った。こちらの美術館は少し遠いこともあって、日本人はいない。絵画も肖像画など宮廷の絵画が多く、宗教色がないだけ雰囲気は少し違う。主要な見所は見たので、もう一度ポンテベッキオを経て、サンタクロチェ教会へ向かう。さすがにこれだけ歩くと、足も体も疲れはててもう余り動きたくない。それでも頑張って歩く。サンタクロチェ教会では、ミケランジェロ、ガリレオ、ダンテ、ロッシーニの墓を見る。あとはFSのフィレンツェ駅へ行く。途中の百貨店で買い物をして、駅を見て、近くで食事をとる。前には気付かなかったが、駅前には地下街があって、三男のためにCDを購入した。
食事後は駅からタクシーに乗ってホテルに。ホテルのすぐ後ろにスーパーがあったので、珍しいものを物色、なんとワインの1.5リットル瓶が安いものなら3000リラ(180円)で売られている。キャンティワインでも2リットル瓶で500円ぐらい。重くなければ持って帰りたいくらいだ。苦労して探したインビクタのリュックもスーパーでは、普通の学用品売場で売っていた。あれが学校用のランドセルであることがよく分かる。
17日(木)フィレンツェを出発し、ローマに向かう。途中でアッシジの聖フランチェスコ教会に立ち寄る。バスでの移動だから、どうせ行くところもないし、むりやり立ち寄るのだと思っていたが、山の中腹の小さな教会の町だった。鳥に説教をしたという話は良く聞くが、ここがあの聖フランチェスコの没した町だった。外からの眺めはチベットのラマ教寺院のようだが、教会の中には有名なフレスコ画があるらしい。ジオットが描いた「聖フランチェスコの生涯」や「夕日のマドンナ」など。日本人観光客に大変な人気があるようで、日本人修道僧が2人いて、その内の田川さんという話のうまい人がガイドをしてくれた。期待していなかっただけに結構良い所だった。平山画伯が2年間、絵の勉強をした所だと聞いた。この日はアッシジのガイド予約の関係で、フィレンツェを早朝に発ったために、お昼にはローマに着いた。やはり二度目のローマは土地勘があって、覚えている地名や建物も多い。昼は雨がぱらつきかけた中、裁判所の川向かいのピツェリアでピザを食べた。この後、サンピエトロ寺院を訪問、トレビの泉、コロッセオ、真実の口、とお決まりのコースを回って、最後は例によって免税店(共和国広場のローマ三越)へ、我々は免税店には無関係で近くの商店街をうろうろして、定刻に併せてバスにてボルゲーゼ公園の北側にあるエルミタージュホテルへ。夜はカンツォーネの夕べとやらでまたもバスでお出かけ。旧アッピア街道添いのレストランにて食事。見かけと入り口は狭い田舎風のレストランだが、入ってビックリ、何と人間が多いことか。300人はいただろうか? しかも観光バスだけでも軽く10台くらいが並んでいる。そしてうんざりしたことに、みんな日本人の団体さんなのだ。自分もその内の約1名ではあるので、文句をたれるのはよくないが、うんざりしたのである。外人ならば絶対にこんな所へは来ないだろう。まあ仕方がないか。日本の歌を歌ってくれてチップをせびる。出してやるものか。
18日(金)ホテルにてパンだけ食べて、タクシーにて朝からサンピエトロ寺院へ向かう。同じツアーの女の子が2人いっしょだったので、便乗させてあげる。バチカン博物館は開館前から長蛇の列。前日に3時間待ちとの話しも聞いていたので、とにかく真っ先に並びに行った。しかし40分ぐらいの行列待ちですんなり入ることが出来た。しかし、ここがまたものすごく大きな博物館で、しかも見学コースが4コースあり、一方通行。中庭を見たりエジプト博物館を見たり、最終的にはシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」を見学。ヨーコさんの欲しいポスターが、途中ではあったのに出口には売っていなく、もう一度コースに入って探し回った。後はこの博物館のカッフェで一旦休憩。日本人の団体客は殆ど見かけなかった。団体ではわざわざ並んで待ってまで、来る人はいないようだ。我がツアーの人たちもフィレンツェの時と同様に、みなさんオプショナルツアーでナポリ・ポンペイへと行っている。ほんとに日本人のツアーは駆け足で駆け抜ける神風ツアーのように思う。バチカンを出てから地下鉄にて、テルミニ駅に行った。駅にて、ピアノ演奏のついたセルフレストランがあり、ここで昼食。これが雰囲気も味も量も最適。質素なのに贅沢な気分を味わった。ここからは歩きで、商店巡り。奇しくも前回のバッグ屋さんでサイフを買うことに。さらに歩いてベルベリーニ広場へ、ここのカッフェで再び休憩。近くにJCBプラザがあるので探して寄ってきたが、とにかく分かりにくい所であった。残りのお金を横目に、石(オニキス)の宝石箱を有り金はたいてネギって買って買い物を終了した。あとはホテルまでのタクシー代を残こし、イタリアの現金はなくなった。ホテルにてナポリ帰着組と合流し、フィウミチーノ空港へ、夕食は日本食のお弁当。ローマの空港では免税の払い戻しを受けて、出発時間ぎりぎりまで、現金を残さないようにヨーコがあれこれ思案。21時45分発のスイスエアー
SR-605にてチューリッヒへ向かう。今回のツアーでは最後のローマ・アムステルダム便が取れずに前日にチューリッヒ泊となった。残念ながら今回はスイスには入国するが時間が全く無く、ホテルと空港の往復のみ。ホテルは今まででは一番上等なシェラトンであった。荷物が重いにも拘わらず、フィレンツェで買ったビールとローマでもらったお茶を持ち運びしてしまった。19日(土):チューリッヒ発10:00のKL302
(B373)にてアムステルダムに移動。スキポールでは相当時間があったが、JCBカードで家に電話したあと、エスカルゴの缶詰を買った。そのあとで今まで大事に持っていたバチカンのポスターをなくしたことに気付き、大急ぎで探しに行った。幸い直行した公衆電話には別の人がいたがポスターは残っていた。元もとは、フリートラベルでアムステルダム発のこの便に乗るつもりだったのに、この便だけがどうしても取れなかった。その為に個人旅行を中止してこのツアーに切り替えて、結局同じ便で帰ってくるのだから、変な感じ。20日(日):関空にはほぼ予定通り9:30の到着。荷物も早く出てきたので、「はるか」の切符もすぐ買えた。帰りは順調でとんとん拍子。JR奈良線も待ち時間なく乗れた。この日はお盆休みを利用した海外旅行客で関空始まって以来の混雑であったことがあとで報道されていた。お昼過ぎに無事帰宅。家には休み中の滞在を頼んでいた長男と、自宅に帰ってきていた次男と、家事依頼をしていた三男がいて、久しぶりに家族5人が全員揃った。