韓国旅行(
1997年9月12日−15日)UA
のアワードチェックとマイレージ口座計50000マイルを使用してビジネスクラスでソウルを訪問した。9
月12日(金):会社を出て京都駅にてヨーコと合流、関空特急「はるか」に乗った。19:40関空出発のUA817便にてソウル金哺空港へ。関空ではウォンの両替はできない。韓国は近いが訪問は始めてである。空港で直ちに両替しウォンを得て、KALのバスに乗る。市内の主要ホテルに停まるのでJCBで予約したハイアットホテルにも横付けされた。このホテルはソウル駅の南西の山の上にあり、見晴らしは抜群で有ったが、後で判ったことだが駅から遠く、タクシーを使わないことには足の便が極めて悪い。でも部屋はアメリカンスタイルで広い。前日は横浜に出張したまま会社へ戻ったので、全くのビジネスマンスタイルでヨーコのカジュアル旅行スタイルとは似つかない変なカップルであったかも知れない。
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月13日(土):とにかくホテル近辺の探索のため、歩いて山を下りる。梨泰院イテウォンの商店街を通って、鉄道の駅を目指す。かなり回り道をしながら西氷庫ソビンゴ駅に到達。イテウォンの近くにはやはり米軍宿舎が多い。どの店も我々を見つけては声を掛けてくる。値段が高いのか安いのか全く判らない。やっぱり日本人というのがすぐ分かるようだ。何も買わず取りあえず2駅だけの切符を買って、玉水オクス駅で降りる。切符をどこで渡すのか判らなかったが、国鉄と地下鉄は共通切符であることが後で判った。地下鉄で景福宮へ行った。ここには国立博物館がある。旧朝鮮総督府があった場所で、今は完全に解体されて工事現場の塀が有るだけ。その横に新設された博物館がある。昼飯は博物館の食堂で食べた。休憩していると女子学生が卒業研究のテーマだろうか、アジアの国についてインタビューを依頼してきた。英語でのアンケートに答えるものでタイ、中国、オーストラリアなど行ったことがあるか、それぞれどんな印象をもっているか等を聞かれた。偏見と言われるかもしれないがソウルの地下鉄はやっぱりニンニク臭かった。電車の中まで身体障害者がハーモニカを吹きながら物乞いしていたし、商店街でも足のない障害者が這いつくばってお金を求めていた。子供の頃に日本でも傷痍軍人がお金を乞うていたのを思い出す。日本人に対する反日感情が強いことを覚悟していたのだが、若い世代の人達は誰もそんなにこだわりが無いようであった。
電車の中で前に座っていたおばさんが急に韓国語で何やら話しかけてきて、判らないので答えなかったらひどく怒っていて変な感じだった。日本人だと判るだろうに、年寄りは何か反感を持っているのか?
景福宮キョンボックンは新婚さんのメッカであると聞いたが、なるほど至る所で花嫁衣装の人達が記念写真を写していた。この後、明洞ミョンドン、南大門市場ナムデジュンシジャンを見て、食事は長寿カルビで焼き肉をたべる。キムチを食べなくてはと、キムチを注文したらどんぶりに一杯出てきて、おまけにご飯にも別に標準でキムチが付いていたのだ。結局、キムチはヨーコが引き受けるが殆ど余った。
明洞は若者ばかりで、南大門市場では年寄りばかりで時代の違いを感じさせる。市場ではブタの顔と足、多量の松茸が印象的である。しかし別に土産を買ったわけではない。また薬局の多いこと、韓国人の薬好きが伺える。帰りは国鉄玉水オクス駅からタクシーを拾うつもりだったが、駅にタクシー乗り場がない。たまたま通りがかったタクシーを無理やり止めて、いやがっていたがホテルまで送ってもらった。この夜は仲秋の名月でホテルの庭ではプールの周りで何やら賑やかに催しが行われていた。
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月14日(日):ホテルにてゆったり朝食を採る。当然頼まなくても朝からご飯にはキムチが付いている。この日もやはり歩いて漢南ハンナム駅に、ホテルの近くは金持ちの高級住宅街になっている。防犯カメラや守衛室のある家もある。午前中はソウル医科大学へ行った。残念ながら大学は日曜日で関係のない者は入れてくれない。学生街の雰囲気を感じる喫茶店へ入ったけど、言葉が判らないから他の客は誰も近くに寄らず敬遠されてしまったようだ。今度は漢江の南部の新興住宅地で江南の狎鴎亭洞アックジョンドンへ向かう。この辺りは現代自動車の高級アパート群があって、デパートも現代百貨店。デパート内をうろうろし売っている品物を物色。少し歩いて別のギャラリア百貨店の屋上レストランでスパゲッティを食べる。周りのアパート群は現代自動車の社宅かと思われた。近くに何とノースウエスト航空のチケットオフィスがあった。この後は、東大門市場トンデムンシジャンを見に行って、さらにソウル駅、南大門へ。東大門市場の近くにはサッカー場があって、回りには衣料品関連の店が多い。道端に印鑑彫りの露天商が並んでいるので、観光記念にヨーコの印鑑を発注。英語が全然通じないので漢字で書いたが、それでも無理。カタカナでヨーコと書いたら、やっと判ったようでサッサと彫り終えた。100円もしなかったが粗雑であった。なるほど1分も掛からず彫るのだから、画数の多い漢字など彫れる訳がない。夕食は中華料理にしようと決めていたので、探し回ったが、意外にも中華料理屋がない。少し古いガイドブック「地球の歩き方」を見ながら数箇所行ってみたが潰れてしまっていた。中国大使館の前に有るはずなのに、パトカーが警備しているだけで中華料理屋は見当たらない。とうとう疲れてしまって、近くのビアホーフに入った。ここは雰囲気こそかなりヨーロッパ調であったが、食べ物は少なくまずくて高かった。(タクシーは、この日だったかな?)9
月15日(月):米国便の飛行機だと、UAでもNWAでも日本発着を午後にするためその延長便で韓国につなぐので、日本から韓国行きは時間が有効に使えない。でも無料だからやむを得ない。この日はもうすぐに帰るのである。ホテルで食事の後、ホテル内の売店を散策。日本語の出来るおばあさんがいる土産物屋で石の香炉を買った。ひやかしのつもりで値切ってみたら、US$150から$100まで下がったところで、JCBが使えると言うので、買ってしまった。不思議なことにこのホテルではUS$しか通用しない。ホテルで
KALの空港バスの券が買え、空港へ。空港ではUAの小さなラウンジが使えた。ラウンジの電話から長男に電話をした。空港はそれ程大きくなく免税店でもUS$がまかり通っていた。というよりも、WONは使えないでUS$しか通用しない。全てのウォンを使ってしまっていたが出国前に最後に空港税がいることを忘れていた。
US$で払ったと思う。UA818便14:30発16:00関空着。ソウル3泊4日の旅は終わった。