ラスベガス旅行
6日間 2006年1月23日(月)〜1月28日(土)ヒロシの会社の久々の慰安旅行(
15年ぶり?)でラスベガスに行った。行き先はハワイ、グアム、ケアンズ、国内旅行(九州、TDR、北海道その他)等から選ぶことができたので、アメリカ西海岸ラスベガスを選んだ。家族1人が無料で同伴できるので得した感じ。折角の機会だったので出きれば何とかバリンジャー隕石孔まで足を伸ばしたかったので、各種オプショナルツアーを探したが見つからなかった。距離的にはグランドキャニオンとそう違わないのに、クレーターを見に行く人は少ないようだ。旅行社は阪神航空で料金も高かったが、無料なので文句はない。ヨーコはラスベガスでスロットが出来て、買い物が出来ればがそれだけでいいと言っている。1月
23日(月)(第1日目)最近は羽田空港へよく行くが、成田空港は久しぶりだ。しかも北米なので第1ターミナル、随分久しぶりだった。サテライトからさらに延長されたゲートが出来ていた。ヒロシの会社が四谷に引っ越すので、出発直前までメールで仕事。集合は
17時15分。例によって潮見駅発の京葉線で、西船橋経由JR船橋で京成に乗り換え特急で空港まで。成田発のグループは12名。一応団体なので副団長ということで添乗員のいないところで点呼係り。空港は一昨日の雪でまだダイヤが乱れており結構ごった返していた。航空会社はUAだったのでマイレッジを付けることができた。荷物のセキュリティチェックでいきなりスーツケースを開けられて、しかも鍵を掛けてはいけない。聞いてはいたが、あの9.11テロで飛行機に乗るのは検査が大変厳しくなった。靴まで脱がされて厳重にチェックするから通過するのに時間がかかる。UAに限らずNWも長い検査待ちの行列が出来ている。UA-838でサンフランシスコ到着11時過ぎ。空港の自動販売機でヨーコがミネラルウォータをJCBカードで買うのにトライ。何とか買えた模様。関空組と合流しUA1450でラスベガスに到着。荷物がターンテーブルから出てきたときにスーツケースが少し開いていて冷やっとした。ラスベガスは2回目(ヨーコは初めて)だが、随分大きくなっていた。前に着たときはルクソールがまだ工事中だった。市内を回ってホテルモンテカルロにチェックイン。早速カジノの様子を見に行く。隣が薬局CVSPhamacyだったので行って見た。向かいの薬局にも行って隣のMacで晩飯。さらにハワイアンビレッジを覗いてホテルに戻る。ラスベガスには世界で18番目までのホテルが1軒を除いて全部揃っていると聞いた。確かに部屋数がやたらに多い。大きいホテルは5000室以上あるし、モンテカルロでも3000室もある大きさだ。1
月24日(火)(第2日目)特に予定を決めていなかったが、朝食に間に合うよう起きるつもりだったが、二人共に非常に長い
1日で時差ボケのため寝過ごしてしまった。10時頃に慌ててレストランに行った。朝食は11時までやっていた。やはりカジノで遊ぶ人は夜型の人間が多いようだ。この日はツアーを探すだけで、後はラスベガスの町の見学のみ。まずは遠いところからと南に移動、隣のNYNYでスロット。ラスベガスでは金がなくても長く遊べるTVゲーム型のスロットマシーンがあって1cから掛けることが出来る。$1で100回も出来るから、こんな機械は日本にはない。勝つとバーコードの入ったチケットがプリントアウトされて戻ってくる。これは即現金化可能であり、$1でも1回ボーナスが出てそこで止めれば、損せずに終わることが出来る。エクスカリバーを経て、無料トラムに乗りマンダレイベイからルクソールに向かう。ルクソールはピラミッドがホテルで中にツタンカーメン博物館があるので、これを目当てに行った。そこにあるものは全て偽物であるが、玄室も調度品も全てコピー品でリアルだ。実物を一度見ているから記憶に甦ってきて懐かしい。もちろんルクソールでもカジノはやった。1回$2の二階建てバスに乗ってストリップの北の端にあるストラトスフィアタワーに行く。バスは$5の1日券を買ったのだが、タワーに上る時に何と厳しいセキュリティチェックがあり金属探知機を通過、バッグの中身も調べられる。後で気づくことになるのだが、ここでせっかく買った1日券を紛失して$6の損失。タワーの上には
3種類の絶叫マシーンがあるが、さすがにどれも恐ろしく、どれにも乗るつもりはなかった。塔自体は東京タワーより高いと言っていた。我々は金を払ってまで怖い思いはしたくない。つい最近のニュースでラスベガスの絶叫マシーンが空中に突き出たまま停止した事故の記事を見たが、まさにそのマシンだった。もう少し怖くないやつに乗ることにして、近くのサハラに行った。ラスベガスでも古い老舗で単線バックのコースターがある。しかし、行って見れば休止中だった。がっかりしながら次はサーカスサーカスに行き屋内ジェットコースターに乗った。客はちょうど我々二人だけで先頭に乗る。乗るときに眼鏡を外すように忠告されたけど、景色が見えなきゃ面白くない。そのままガードアームに挟まってスタート。ところが宙返りと急回転で遠心力が強く、眼鏡がぶっ飛びそうになり、必死でフレームを押さえた。足元に置いたザックも飛んでしまいそうで、ひざに挟んで耐えた。降りたらめまいがして真っ直ぐには歩けない。あー強烈だった。宙返りと回転宙返りが各
2回くらいあったかな。今日は水族館へ行くつもりだったけど、何と一番南のマンダリンベイだ。結局
2階建てバスに乗って移動。ところがこのホテルがまた広い。コンベンションホールで何か学会と展示会をやっていて、ちょうどひけたところに出くわして大変な人だった。どこの店に寄ってもカジノで少し遊んで行くことにした。シャークリーフと言う水族館では、熱帯系の淡水魚と沈没船の中から眺めるサメ水槽がある。ホテルの施設にしては、なかなか立派な水槽があり水中トンネルもある。トラムに乗るつもりで歩いていたが、隣のルクソールまで出てしまった。そこでトラムに乗って、さらに歩いてホテルに戻った。オプショナルツアーを探して、ミニフーバーダム(
4時間)を選んだが、生憎水曜日はなく木曜を予約した。1月
25日(水)(第3日目)ストリップの西側と南北の遠いところは昨日見学したから、今日は東側を踏破。まずベラッジオのティファニーを見にいって、シーザーズパレスのフォーラムへ。ニューヨークにあったシュワルツと言うおもちゃ屋がラスベガスにもあった。ヨーコは孫のオモチャを買う。ヒロシは別に興味あるところはないのでヨーコに付合うのみ。どこも大きすぎて店が多過ぎる。行っても切りがないので、ベネチアンで引き返し、フラミンゴまで戻る。ここのどこかに
JCBプラザがあるので探し回ったが、かなり難儀した。iPodが当たるくじが目当てだったけど外れ。このあとエッフェル塔に登る。実物の3分の1ぐらいしかなく小さい。アラジンのバザール(デザートパッセージ)へ、ハワイにあったABCストアがここにもあった。このバザールで遅い昼飯を食べてモンテカルロに戻る。ずっと自由行動だったが、唯一会社行事としての関空組との合同パーティが夜にあり出席。ヨーコは飲み過ぎにより中途退席。1月
26日(木)(第4日目)朝
7時50分にピックアップバスが着た。街なかのバス会社事務所でバスを乗り換え、フーバーダム行きに乗る。ご一行様は12名くらいか。日本人はもちろん我々二人だけ。安いツアーなのでダム博物館の見学料も付いていない。フーバーダムは日本で言えば黒部ダムだ。知る人ぞ知る。昭和始めの大恐慌の時にルーズベルトが失業対策事業として掲げたニューディール政策で作られたダムだ。確かに難工事だったに違いない。絶壁に足場を組んで工事しなければならず。信じ難いほど難しい工事だった。人造湖としては世界最大で間もなく完成する中国の山峡ダムに抜かれるが、確かにでかい。このダムを渡るとネヴァダ州からアリゾナ州になり時差が1時間早くなる。ダムが満水になった時のバイパス流路のトンネルがこれまたでっかい。博物館は見学しなかったが、ダムを渡ったこともあって時間はあまりなかった。無料の売店にそれらしき当時の道具などが展示してあったので、想像はできた。ツアーから戻って休憩してから最後の買い物に、道向かいのM&Mとコカコーラへ行った。次にもう一度CVSファーマシーに寄って帰る。カジノの楽しみ方がわかったからまたスロットをやる。ラスベガスといえば賭博の街との印象が強いが、それ以外にもテーマパークの博覧会のようなところが多く、女性や子供にも持って来いの遊び場だった。ただし、時間とお金がやたらにいることは間違いがない。
1月
27日(金)(第5日目)最終日は帰るのみ。午前
9時頃の飛行機だと言うのに早くからモーニングコールで起こされた。空港が混み合っていて、チェックインでトラブルがあり昨日の先発組は予定の飛行機に乗れなかった人がいたらしい。7時には空港につき、チェエクインも順調。自動チェックインにトライしてもらったら、何と一緒に入力しても二人の席が離ればなれになってしまった。折角行列に並ばずにすんだのに、結局人に入力変更をしてもらうハメになった。この辺りコンピュータには人間味がない。UA-1415便でサンフランシスコへ、UA-853便で成田に帰着。途中日付変更線を経過して28日となる。1月
28日(土)(第6日目)帰りは成田発1
XXXの京成にて船橋経由、西船経由の武蔵野線、新木場乗り換えにて潮見着。いつものことながら、長旅の疲れと時差ボケに苦しむ。