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ヨーコとヒロシのドイツ・スイス・フランス旅行8日間(2006710日〜17日)

我が家で恒例化している夏休み海外旅行だが、ヨーコの希望により今回は世界遺産のモン・サン・ミッシェルへ行けるツアーを求め、HISのツアーに初めて参加した。HISを使ったことは初めてのことであるが、大手町の事務所での申し込みの時点から驚かされた。申し込みと同時に現金が必要であり、中央郵便局までお金を出しに行った。何とJCBが使えないのだ!

日程表の発送も遅く、出発の4日前。現金振込みは1ヶ月前なのに非常に印象が悪く、サービスの劣る会社だった。

7月10日(月)

集合時間の830分に間に合うためには、京成の特急では出発が早過ぎて、成田エクスプレス5号を使う。潮見発6:46で東京発7:15。成田空港8:10着。第一ターミナル南ウイングは大きく拡張された。利用航空会社はオーストリア航空で、10:40OS052便ウイーン経由でフランクフルトへ向かう。スターアライアンスによりUAのマイレージが付いたので良かった。空港でみたルフトハンザ機には機首レーダーにサッカーボールの絵柄が施してあるのはご愛嬌だった。ワールドカップの興奮覚めやらぬドイツへ向かう。中継のウィーン空港は前に来たときと余り変化がなく、ヨーコに買ったエジプト柄のブレスレットの店もそのままあった。成田でチェックインした時に、よく確かめなかったら、二人でチェックインしたにも拘わらず、ウィーンからフランクフルト便で座席がヨーコと離れ離れになってしまった。時間があったのでゲートまで行き座席を取り直してもらった。郵便局に行ってみると、星座切手と隕石切手があった。早速、ヨーコは記念に星座切手を購入。ヒロシは今回のツアーはオーストリアではないから購入せず。もっともどちらも既に日本で購入済み。フランクフルトの空港からバスでホテルNhメルフェルデンに直行。ホテルは空港の南にあり、フランクフルト市街とは逆の位置。一見して工業団地の中のようなところ。近くに屋内サッカー場があった。周りには店もなくただ宿泊しただけ。夜は10時頃まで明るい。

7月11日(火)

フランクフルトから北西方向のライン川に向かう。リューデスハイムの町からKD社のライン川下り船に乗る。川向かいの山頂には早速古城の一つクロップ城が見える。両岸に次々と古城が現れるがこれは通行船から税金を取るための監視所である。1時間50分かかってローレライを過ぎたザンクトゴアにて下船。ローレライは歌が有名だが、変わり映えのしない単なる岩山である。この程度の急な崖ならどこにでもある。ここで日本人ツアーがどっと下船して船は身軽になった。

バスの車窓からもう一度ローレライを見てリューデスハイムへ戻る。20分程の行程である。さらにドイツで一番古い大学のある町ハイデルベルグへ行く。ハイデルベルグは三男が先月出張でドイツへ行ったときに寄った町である。ヒロシも以前にマンハイムから電車で来たことがある。ハイデルベルグのレストランで昼食(ソーセージ、酢キャベツ、ジャガイモ)を食べたあと、城のテラスへ登る。残念ながら今回も時間がなくてハイデルベルグ城の中は見学はできなかった、中に薬事博物館があるのでこれだけでも見たかったなあ。

精霊教会の前の市役所に切手を買いに行ったら郵便局へ行けと言われた。そりゃそうだ。

ハイデルベルグからアウトバーンでローテンブルグを目指す。ローテンブルクはロマンチック街道の途中の町で古城街道との交点に当たる。アウトバーンは通っていないからバスは30km程北に戻る。町に着いたらもう17時近くで店は閉まりつつあった。城壁に囲まれた小さな都市でエストニアのタリンの町の雰囲気に似ている。たまたま市庁舎前の広場で中世の歌劇があるようで、役者達が時代衣装をまとってうろうろしていた。

閉まりかけた菓子屋でシュネーバル(雪玉)を買った。17時に時計台のからくり時計で市長の人形がワインを飲み干すというので見ていたが、結局動かず。ガイドブックにも次は21時と書いてあったからそうなんだろう。市庁舎前にはマリエンアポテケが有って写真を撮ることもできた。郵便局は見つけることが出来なかった。

この日のホテルは、さらに北へ外れたバート・ビンズハイムという田舎町だった。流石に添乗員もこの町は知らないとのことで、小さな石畳の入り組んだ綺麗な町だったがホテルの外には出なかった。ホテルも小さく我々の部屋は母屋の道向かいにある別館だった。それでもこんな所で韓国人ツアーに出会ったのは、相当な穴場だったのかも知れない。

7月12日(水)

バートヴィンズハイムを出発し、ロマンチック街道を走る。なんと言うことはない。ロマンチック街道と言っても高速道路ではなく、単なる田舎道をひたすらバスに揺られて乗るだけのこと。途中でトイレ休憩をしたネルトリンゲンが面白い。ほぼ円形の城壁で囲まれた町で中央部が少し窪んでいる。隕石孔の上に作られた町で、アポロの宇宙飛行士がここで訓練したとか、ここの土を月に持っていったとか、なかなか興味深い。実際に隕石片も出ているそうだ。「るるぶ」には出ているがヒロシのガイドブック(89年版)は古すぎて書かれていない。

この日のメインはフュッセンのノイシュバンスタイン城である。車窓から次第に大きく見えるようになると、シュバンガウに到着。目前に黄色いシュバンガウ城がそびえている。ここから専用バスに乗り換えて、マリエン橋まで登る。100mの峡谷に掛けられたこの橋はノイシュバンシュタイン城を横から眺めるために作られた狭い歩道鉄橋である。この小さな橋に大勢の人が群がるように写真撮影。橋がつり橋だったら怖がる人も多かろう。城は山の上にあるから、歩くのはいい運動になった。ガイドツアーの予約時間があるので焦りながら移動。でも団体ツアーの悲しさ、他人の体力が揃うはずがない。しばらくオリエンに行っていないから、森を見ると少し走りたくなる。城は思っていたより近世のもので120年前に完成した。明治中頃のものである。中世の荘厳な宮殿に見慣れているので、かえってシンプルな作りに見えて、ディズニーランドのシンデレラ城を大きくしたようなイメージだ。変わっていたのは、鍾乳洞の間があったり、歌劇を見るための部屋があったりで、君主の居城というより趣味で作った城という感じである。城から歩いて降りるのは15分ほど。日本語で買い物が出来る店に入った。ここは冷房が効いていて他の人が降りるまで時間をつぶしたが、何も買わなかった。この後は、バスでひたすら走るだけ。ドイツ国境を出るとスイスだがすぐにオ−ストリアに入る。よく分からなかったが、オーストリア領を経てまたスイスに入る。国境を越えてもバスに乗っているだけでパスポートを見せることもなかった。そのまま高速道路で夜にベルン到着。市内の中心部にあるいいホテルであった。

7月13日(木)

早朝の食事前にベルンの街を歩きに出た。目当てはアインシュタインハウスだったが、地図を持たずに出てしまったので、ツボってしまい、ウロ覚えのまま大聖堂(ミュンスター)のあたりをウロつくことに。途中で学生らしき女性に教えてもらい歩いた道を戻る。余りににも小さな表示だったので見落としてしまった。レストランの隣の小さなドアがそれで2階の部屋が博物館になっている。早朝なので開いている筈もなくカメラに納めて見学終了。それにしても道に看板も掛かっていないから、見落とす人も多いだろう思った。と言うよりも実際に見に来る人は少ないのかも知れない。アインシュタインはこの部屋で特殊相対性理論を考案したと言う由緒ある部屋なのに。

ベルンを出て、ツェルマットへ向かう。途中の峠超えではカンデルシュテークからゴッペンシュタインまでバスごとカートレインに乗り込む。乗ったのは初めてだったから珍しかった。ちょうどフェリーボートで島に渡るように貨車に乗る。ベルンから65kmのカンデルシュテークで国道は山のすぐ近くで終点になっており、鉄道だけがトンネルで山越えできる。乗用車が先に一列になって乗り込み、大型車は最後だ。バスはミラーをたたんで貨車の幅ぎりぎりなので、乗り込みだけでも難しい。前のバスのドライバーは初めてなので、バックで縦列駐車の要領で車体を載せたが、何度も切り返しをしてとても苦しそう。ミラーをたたんでいるからバックするだけでも怖いのに同じくらいの幅しかない台車に載せるのだから時間が掛かる。

連結器の部分も貨車と同じ幅で特殊な構造をしている。降りる時は前進するだけで先頭の貨車から横へ切って降りるだけ。バスはそのままツェルマットの一つ手前のテーシュまで。一部雲に隠れていたが、何とかマッターホルンが見えた。

ツェルマットの駅に着くと駅前に2mはあろうかと思える大きなオリエンのポストフラッグが吊り下げてあった。後数日で開催される世界大会の記念のデモンストレーションだ。

例の登山電車でゴルナーグラートへ登る。マッターホルンは雲で先端が隠されているものの、終始その姿を見ることができた。6年前に来た時には、まったく見えなかったのだから、ヨーコはうれしそう。天気もよく暑いくらいだ。前回のことがあるので、防寒着をたくさん持ってきて吹雪いた時の対策をしてきたが、ちょうど良い気候で、日差しも強くはなくサングラスも必要がなかった。グルナーグラート駅から天文台に上がるところは大きなエレベータが完成しており、天候が悪くても足場を気にせずに移動できるようになっていた。1階にあった土産物店はなくなっており、一部工事中で高級品の店舗に変わっていた。前は殆ど見えなかったアルプスの山々がよく見えた。双眼鏡で見るとクラインマッタホルンの山頂にある十字架が見えていた。ブライトホルン、カストルとポルックス、モンテローザが美しい。暖冬のため全体に氷河が小さくなっており、黒く汚れてあまり美しくない。グルナーグラートにはまったく雪がない。前回と同様、郵便局へ行って、スタンプを押して葉書を出した。グルナーグラートから1駅下のローテンボーデンから軽いハイキング。他の人たちがいるのでペースが合わないが、久々に山を歩くのは気持ちが良い。約40分でリッフェルベルク駅に到着。どうやらオリエンのゴールと思しきコースを設営中であった。ここからまた登山電車にのりツェルマットに戻る。薬局を探してコンタクトレンズの洗浄液を買う。そういえば前回も薬局で生理食塩水を買った。同じ店に行くのはやめて別の薬局を探した。路地裏の料理屋の軒先にオリエンのポストを見つけた。後はブリークからモントルーを経て、バスで今夜の宿ジュネーブを目指してひたすら揺られるのみ。途中レマン湖のふもとでは、前に寄ったシヨン城を高速道路の上から見ることができた。一度通った道をまた通るのも妙な感じだ。

ジュネーブに入るとホテルは空港近くのカルフールの近くだった。チェックインを待っているときに気づいたが、このホテルは前に泊まったことがあった。コロシアムのような円形構造で、食堂が中央の螺旋階段を下りた地下にある。ヨーコも気づいたようで何と前にジュネーブに泊まったときのホテルだった。名前は覚えていないが、建物は一緒だ。ガソリンスタンドが前にあって、買い物をした。スーパーのような大きなホームセンターがある。

7月14日(金)

ジュネーブの街は、一切どこも見ずに中央駅から国境を越えてTGVに乗る。少しの待ち時間を惜しんで駅の地下街を見て、駅のケーキ屋付きの食品スーパーに入る。6年前に電車で来た時にも行ったところであったことを思い出した。TGVは7番、8番線から出るがこのホームに入る途中にスイス税関と国境とフランス税関がある、パスポートを用意したが係官が見ることもなく通り過ぎるだけ。

TGVに期待をかけるも、何となく遅い。結局新幹線とは言っても、秋田のこまちか山形のやまびこのようなとろさ。車両は連結器の部分が台車になっていて、振り子式電車で見るからにスピードがでそうなのに。列車はそのまま(おそらく)リヨンに入り、パリに向かう。田園風景に牧畜農場風景も変わり映えせず3時間も乗っていることに飽きてしまった。

パリではリヨン駅について、そこから観光バスで市内観光。セーヌ川に沿ってコンコルド広場からシャンゼリゼを通って凱旋門へ。この近くの中華料理店で昼食。中華だが団体メニューでそれほどのボリュームはない。でもドイツのまずい食事から久々の中華だったので、日本人には受けは良かったようだ。ちょうど714日は革命記念日であり、コンコルド広場にも記念行事の会場が設営されていたし、凱旋門にも巨大なフランス国旗が掲げられていた。バスはちょうどお昼の記念行事が終わったばかりのところに出くわしたのだ。食事のあと、凱旋門経由でシャイヨー宮殿で下車。真新しい迷彩色をほどこしたフランス陸軍の装甲車や輸送車がイベントで展示されていた。スリに注意しながら眼前にそびえるエッフェル塔を見る。拳銃で武装した警備兵が多数いたので群衆で込み合っていたが安心できた。この後、ルーブル美術館の前の免税店へ連れて行かれたが、ここで明日のモンサンミッシェルのオプショナルツアーの予約にマイバス社へ行くも、予約は満員で申し込めず。えッ、今回の旅行のメインエベントであるモンサンミッシェルがないとは! 何とかならないかと他のツアー会社を探す。近くにグレイラインの系列下にあるCITYRAMA社があり、かろうじて受け入れてくれた! ああラッキー。HISの添乗員はオプショナルツアーはいつでも大丈夫と話をしていて、お金まで預かっていたくせに、今日は記念日で事務所が休みだったからと言ってお金を返してきた。夕方5時前になってホテルでツアーを探してももう明日のツアーを申し込める訳がない。予約を完了して、北駅の駅前ホテルへ。ホテルは駅のすぐ前だが、あまりいい雰囲気の場所ではない。明日の朝は早いので、地下鉄の駅を探しに外に出た。なるほど黒人や貧しい人が多いところだった。フランスも少し前に若い移民の暴動があったところだ。ヨーコと二人で警戒しながら地下鉄に乗った。

切符を買うときにヒロシのミスでトラブルがあった。明日の分を含めて回数券であるカルネを買ったが、ヨーコがアンカルネと言ったのに、ヒロシは二人だからドゥカルネと言ってしまった。駅員はドゥしか聞こえなかったので2枚しかくれない。ここで何度も言い合って怪訝そうな顔でフランス語で怒鳴りながら切符を20枚くれた。枚数を確認しながらヒロシは自分の失敗に気づいたが遅し。くそッ、フランス人は嫌いだ!

ホテルに戻って駅を見ると目の前に立派な彫刻を施した石の建造物であった。モンマルトルのサクレクール寺院が浮かんでいた。

7月15日(土)

モンサンミッシェル1日ツアー。630分にホテルを出発。朝食は弁当をお願いしますと言っていたが、食堂へ行って適当にパンをもらって来た。予行演習のとおり地下鉄でピラミッド駅へ。ツアーバスは2台あって、日本語ガイドはそのうちの1台。長距離なのでドライバーが2人、フランス語とスペイン語を話すガイド、英語のガイドと日本人ガイドの4カ国語ツアーだ。順にしゃべり一番最後に日本語が入る。これもなかなか面白い。それぞれ歴史、文化、キリスト教に絡む解説をやっているので、決して同じことをしゃべっている訳ではない。集合期間とか休憩の案内とかは共通だ。パリから約350km西のモンサンミッシェルまでノルマンディの田舎をバスで行く。途中のレーグルという町のレストランで10時頃にブランチを食べる。こっちのツアーの方が、内容も良く食事も良い。デザートのケーキも豊富で食べきれない。

広大な平面の草原にポツンと独特の岩山のモンサンミッシェルが見えてくる。なるほどはるばるとこれを見にきたのかと思う。干潟の中の島まで直線道路が続く。小さな島で道も狭い。次から次へと来る観光客で一杯だ。順路に沿って上っていく。他のツアーは着いたら食事だから、我々は先にゆっくり見学ができた。日本を出る前にNHKの世界遺産シリーズでモンサンミッシェルを予習しておいたからどんな所かよくわかった。薬草園のある天の回廊は思いの他小さかった。大潮の時には水に囲まれるらしいが、最近は堤防のためにそんなシーンも殆どなくなったらしい。堤防を無くして橋を掛ける工事をやるそうで、募金を集めていた。

このツアーにはもう一つ期待以上のことがあった。帰りに夕食が付いていたが、それが何とカーンのノルマンディ記念博物館だった。ノルマンディを通るのだから何か見たいと思っていたが、まさにドイツ軍の司令部跡につくられた記念館だった。残念ながら博物館は時間が遅くて入場できなかったが、外の展示物とミュージアムショップを見ることができた。各国部隊の戦没者慰霊碑があり、連合国の国旗と共にドイツの国旗も掲げられていた。ニューヨークの国連本部で見た不戦の誓いを示す銃身がねじられた拳銃のモニュメントがここにもあった。食事も良くリンゴ酒付きでデザートは余る。たまたま同席した若いカップルに話の弾みで買いすぎてしまった地下鉄の回数券を6ユーロで売った。別にあげても良かったのだけど・・。得したし、いいことをしたし、今日は良い日だ。これで全行程を終えたので後は帰るだけ。

7月16日(日)

朝は6時半にホテルを出発。弁当としてパンにジュース、リンゴをビニール袋に入れてもらう。パンもそのまま紙に包まずに転がっている。そんな感覚が日本人にはやや異様だ。シャルルドゴール空港からルフトハンザLH4211便でフランクフルトへ向かう。これがこのツアーの異常なところだ。パリから日本に帰るのにどうして直行しないのか。オーストリア航空だからというなら、どうしてパリからウィーンに飛ばないの??結局、フランクフルトまで飛んでフランクフルトからウィーンに飛んで、日本に向かう。恐らくこのルートは期間が掛かるので安かったのだろう。お陰でマイレッジは余分に貯まるけど。

7月17日(月)

この日は月曜日だが、海の日で休日。成田空港08:40到着。このときに限り荷物がなかなか出てこない。帰りも楽なコースをとり、成田エクスプレスに乗る。ちょうど切符を買うときに出てしまったので40分ほど待った。9:4410号、東京着10:40。日本に付く前日が東京はかなり暑かったようで、家の中も熱気がこもっていた。暑さのために最後のスマトラが死んでいた。(東京35.2℃)