ロシア北欧旅行
8日間 2005年7月23日(土)〜7月30日(土)今回はチャーター便で行く珍しいツアーをヨーコが見つけていた。聞いたこともないタビック○ジャパ○のバルト諸国ツアーである。ヨーコが行ってみたいと言うのはエルミタージュ美術館である。それにタリンとヘルシンキが付いている。事務所が八重洲にあったので見てきた。直前まで何の連絡もなく不安だったがチャーターということで催行は決定していたようだ。ヨーコがロシア大使館にいって情報収集するも全く情報無し。一方フィンランドは観光局が帝国ホテル内にあって、地図やパンフレットをもらって来た。格安ツアーであり総勢
50名程の大グループだったため2グループに分かれての行動となった。7月
23日(土)(第1日目)23
日と言っても羽田空港国際線ターミナルに23時45分に集合であり、出発は24日の2:15であり、実質は1日目は存在しない。ところがこの日16時35分に東京で震度5強の強い地震が発生した。関東に来てから経験した一番きつい地震だった。このためJR、地下鉄、モノレール、高速道路など全てがストップして一向に動かない。幸い出発まで時間はあるし、羽田までなら近いと考えていた。普通なら1時間で行ける筈だ。京葉線は5時間たっても止まったまま、やむなくは潮見駅でタクシーを待って東陽町へ。東西線から都営浅草線で羽田行きに乗る。しかし、ダイヤがめちゃくちゃで、羽田行きが来ない。京急鎌田まで移動したが後少しのところで電車が来ない。余震があったとかでまた止まってしまった。成田出発だったら中止せざるを得ないところだった。やっと動いた電車で何とか集合時間に間にあった。飛行機はプルコボ航空のFV6602便でツボレフ154Nというソ連製の古い旅客機。狭い座席に定員一杯詰めて180人乗り。航続距離が短いため途中でブラーツクにて給油着陸。ロシアの飛行機は汚くてサービス悪し、初めはチャーター便だからといことで、機内でアルコールも出ないとの話だった、旅行業者の交渉でビール1本は出ることになった由。7月
24日(日)(第2日目)ブラーツクの地方空港に早朝到着。
5時間も飛んだのに不思議なことに現地時間は7:55で日本時間と同じ。1時間の給油後に再出発。さらに5時間後サンクトペテルブルグのプルコボ空港着。ロシア語のアルファベットは読みにくい。入国管理は我々だけかと思ったが多少インドネシア人とか外人もいて審査に時間がかかる。まったく遅い。空港からすぐにエカテリーナ宮殿に向かう。バスを降りるといきなり退役した軍楽隊風の人達が「君が代」を演奏、日本人も多いのかと思った。ところがエカテーリナ宮殿の入り口で日本人グループのみ足止めを喰らった。ロシア人のガイドが付いていて入場券も買っているのに入れてもらえない。単なるいやがらせだそうで、何か見返りを要求している模様。観光客が大事な外貨獲得のお客さんだと言う理解がない。どう交渉を着けたのか知らないが20分ほど待たされた後で、一挙に解決。その後宮殿の建物に入るのに行列を作って並ぶ。30分以上待ったところで、やっと入場できた。確かにヨーロッパ各国からの観光客が多く混雑している。最近復元された琥珀の間(ここだけ写真撮影禁止)が一番の人気だがそれ以外にも鏡の間などベルサイユ宮殿をまねた立派な部屋がいくつもあった。ルーブルへの両替をする機会がなくUSDで買うことはできた。ネフスキー通りのレストランでまずいキエフ風カツレツの昼食を済ませ、この日のうちにエルミタージュ美術館を見学。エルミタージュ美術館は川べりの入り口から入場したが、これがまた相当広い。美術品の数はやたら多いが、絵画ではロシアのものには有名なものが少なく、やはりヨーロッパ、ルネサンス以降の画家の作品に人が集中している。レオナルド・ダ・ヴインチの絵が2枚あり、小型だが人だかりが出来ていた。ここでもUSDは大丈夫。
ホテルは地下鉄のナヴァチェルカスカヤ駅の近く、デソンラドガというホテル。見た目はましだが、かなり古い様子、かつて中ロ友好の時代に中国人が泊まったのかチャイナ風装飾が目立つ。ホテルでやっと両替ができてルーブルを得た。部屋はやたら広くテレビは
SHARP製だった。西側放送はBBCが受かるが、CNNやアメリカ系はない模様。風呂の湯が赤サビで茶色い。ヨーコはずっと嫌がっていた、そう言えば水も何か臭うようで良くない。いつもの経験により、歯磨きにもミネラルウォータを使用。7月
25日(月)(第3日目)サンクトペテルブルグの市内観光。青銅の騎士像を見て、ロストラ柱から川向こうのエルミタージュ宮殿を見る。ここでヨーコが露天で何とビールをゲット。言葉は全く通じないが、電卓で示してくれた。このあと要塞のあるウサギ島の手前でみやげ物屋に連れて行かれた。何とここでは1ユーロ=1
US$で等価交換、やたらとドルの強さを感じた。因みに日本を出るときのレートは1ユーロ=135円、1$=112円くらいで2割は違った。あいにく雨が降り出した。念願かなって日露戦争の巡洋艦オーロラ号を見ることができたものの、休みで見学できず。ロシアのカラオケパブ(ボーリング場付き)で昼食。この後モイカ川から運河巡りのボートに乗る。1時間ほど乗ったところで元の船着場に到着。ここで降ろしてもらって、ツアーを離れ自由行動に。海軍省のそばを通って動物学博物館へ本場のマンモス像を見に行った。言葉が分からないが、行列があったので並んで入場券をゲット。入り口はヨーコが見つけてうまく入ることができた。展示物は非常に多いが、建物の老朽化も相当なもの。傷みがひどい。鳥や哺乳類の剥製が多い。次に郵便局に向かう。
17時までしか開いていないが、売店を見つけた時には、もう閉まりかけ。前の客がフランス人の女性でやたらいろいろ聞き続け店員を独占、イライラする。エカテリーナ宮殿で買いそこなったパンフもあるし、星座の切手もあった。
この後、イサク寺院の塔に登ろうと思ったが、それがまた長い行列。切符をどこで買うのか分からず、これも行列に並ぶ。塔に登るのはやめて寺院の中に入った。この聖堂は美術館になっているようで、見ごたえのある立派な絵がいっぱいあった。正直にカメラ券も買ったのに、あまり写さなかった。みんな平気でカメラで撮りまくっているではないか。平気でストロボも使うくせに、帽子はとれとか妙にうるさい。
地下鉄には乗るなと言われていたが、タクシーだって安心とは行かない。ロシアは社会主義政権が崩壊してから中国のように市場経済主義の導入がうまくいかず変な個人資本主義が横行している。タクシーが安全といっても空港から10ドルくらいのところ外国人だと60ドルくらい取られる。グランドホテルヨーロッパからタクシーに乗れと言われたが、タクシーで30ドルくらい吹っかけられるから15ドルぐらいで交渉することなどと言われていた。とにかく、気の抜けない物騒なところでオチオチ買い物なんてできない。因みにヨーコと二人で地下鉄に乗ったが、まだ一部は木のエスカレータであり地下底深い。日本人は誰もいないし、周り中怪しげな人ばっかり、駅名が分からないし、行き先が読めないし、どっちの方向の電車に乗れば良いのか全く分からなかった。東京の地下鉄も複雑だけど、日本語が読めるし、乗り換え表示も親切だが、こっちの地下鉄は乗り換え表示も分からない。全身緊張の塊りで乗り換え1つ、4つ目の駅で降りて一目散にホテルに向かう。
料金は10ルーブル(40円)。地下鉄の駅の通路にスロットがあった。売店もあったが、まわりは通勤ラッシュで混雑しており、人に絡まれるといやだからサッサと歩いた。結局ホテルの近くのスーパーと思われる店に行ったが、ホームセンターのような雑貨屋で食い物がない。フロントで24時間スーパーがあると聞いて、ヒロシが1人で買いに行った。ところがホテルを出たとたん変な若い男が手を出して金をくれと近寄ってきた。振り払って逃げたが10分位歩いてやっとそれらしい小さなみすぼらしい店を見つけた。ことろがどうも営業している気配がない。中に入ると2階はカー用品、3階は薬局とヘアーサロン。
時間はもう夜の9時を過ぎてそろそろ暗くなっている。考えて見れば、都心でも10時前に開いている店があるとは思えない。つくづくロシアの特殊性と言うか、日本の特殊性を感じた。結局、地下鉄の駅まで行くことにして歩いて戻る。小さなキオスクのような店が開いていてそこでパンかケーキらしい食べものを買ってホテルに戻った。言葉は全く判らないがレジのレシートで数字は読めた。
7月
26日(第4日目)8:00
バスにてホテルを出発。この日はバスでロシアを出る移動日である。ロシアのビザは入国回数を予め決めて取得し、ダブルエントリーを示すためにビザのコピーを持つ必要がある。最初の入国時に最後の出国日も記入しておく。さてバスはサンクトペテルブルグの市街地を後にバルト海沿岸を西に進む。高速道路がないため地道を走るが、舗装されているのにスピードが出せない。それはエストニアに向けて戦車が出動した時に、規則正しく微妙なうねりがあって、バスの走行時に共振してひどい振動である。交通量はそれほど多くない。旅行者用に沿線の施設がない。団体ではトイレ休憩にも困る。名前も判らない小さな路傍のレストランで一つしかないトイレに行列を作って用を足した。「地球の歩き方」で知っていたから、バスが止まった場所で全員一斉に道端で用を足すようなことはなかった。国境はナルヴァにあったが、バスに乗ったままではゲートを通過することは出来なかった。バスを降ろされ抜き打ちで荷物検査をされた。出国検査にうるさいのは理解に苦しむが、麻薬犬までバスに入れての検査だった。後で聞いた話では、このゲートの通過に7時間かかったとの話もあるから、我々の1時間弱だと早いのかも知れない。ロシア側ゲートを通過すると緩衝地帯があり、エストニア側の入国管理事務所がある。こちらの検査はパスポートを回収するだけでバスに乗ったまま、スタンプを押して返してくれた。ここまでたった
150kmで約4時間かかり、さらにここから首都タリンまで4時間かかる。エストニアに入ると時差が1時間あり、殆ど動いていないのに1時間延びた。途中でトイレ休憩のため国立公園内のロッジに立ち寄る。タリンは小さな町で、旧市街はそのまま世界遺産になっている。14世紀からの中世がそのまま残っている。
幸いホテルが旧市街の近くにあり、すぐ横には中央郵便局、デパートがあって、ホテル到着と同時にすぐに両替し外出した。アルコールのコンビニもあり、自由に自分達で出かけることもできない不便なロシアから一気にヨーロッパ世界へやって来たという満足感があった。旧市庁舎の前にある古い薬局を探しに出掛けたがなかなか見つからず、もう諦めかけて居た時に蛇の看板を見つけた。すぐ前に立っていたのだ。灯台下暗し。早速訪問するも17時を過ぎ鍵がかかっていた。明日の朝一番に来て見ることにした。1422年に開業したマギストラート薬局である。
7月
27日(第5日目)薬局は朝9時にオープンなので、早速出かけるとちょうど9時に店を開けてくれた。何と博物館だと思っていたが、現役の薬局なのである。見るのはただとのことで、見学させてもらうが、ヨーコはバイエルのアスピリンを買った。ホテルに戻ってバスで出発、オペラ歌手の日本人がガイドを務め、カドリオルグ公園、夏の宮殿、歌の原(野外音楽堂)郊外のピリタ(モスクワオリンピックのボート競技会場)を回ってフェリー乗り場へ。ここから後はトーンペア城へ行き徒歩で旧市街へ。アレキサンダーネフスキー寺院、ドム教会、
などを見てロシア領事館の近くのレストランにて昼食、砦を降りてラエコヤ広場の旧市庁舎を経て、バスにてフェリー乗り場へ。船着場だがここは国際線で出国事務所がある。
シリヤラインのスーパーシーキャット号で1時間40分。ヘルシンキに到着。ヘルシンキのホテルではチェックインに時間がかかり、この間に両替商を探しに急いで外出。10分程探したが見つからない。19時からホテル内で食事だが夕食もなかなか出てこない。買い物が出来る場所と時間がなかったし、デパートは9時まで営業しているので夕食を諦めて外出する人達もいた。食後、我々もすぐに外出。ヘルシンキの駅で両替。毎日違う通貨に替える必要があり非常に煩わしい。
7月
28日(第6日目)今回の旅行は自由時間が殆どないので、朝の郵便局の開局と同時に行った。バスが出るまで1時間しかない。地下街のCD屋でヒット曲を探す。ヘルシンキは近代的なきれいな街である。8月6日から世界陸上が開催されるオリンピックスタジアムを訪問。少し内部を見学できた。それからシベリウス公園、テンペリウキオ教会、マーケット広場、ウスペンスキー教会を見て昼食。大聖堂前のショップで買い物。ヨーコのうれしそうな笑顔を見た。
その後、車窓からぐるりと街を東→南→西へと海岸を巡ってヘルシンキ中央駅へ。
15:42発のサンクトペテルブルグ行き国際列車レピン号に乗る。2等車の6人乗りコンパートメントで、乗った時は冷房が効いておらず暑かった。国境手前の駅で車掌が検札に来たのかと思ったら、免税品のTAX Refundであった。ユーロを少しゲット。フィンランドの出国審査はパスポートを集めに来て、スタンプを押して返すだけ。国境を越えてからの駅ではロシアの審査官が乗り込んで来て入国審査。別にどの荷物が誰のものかというチェックはなかった。400kmくらいの移動だと思うのに6時間も掛かる。食堂車が付いているとの話だったが、サービスが悪いのは目に見えているし、ちっとも快適でないと思ったので、ヘルシンキで夕食のサンドイッチを買っておいた。サンクトペテルブルグに着いたのは21時頃だった。途中線路の両側に窓のない劣悪な住居が何kmも続いていたのでオウムのサティアンを連想した。強制収容所なのかと思ったが、どうやら倉庫だったらしい。不思議なものを見たが、写真に撮るとまずいだろうと思い止めた。また同じホテルに泊まる。水は赤茶色。
7月
29日(第7日目)もう帰るだけ。ロシアの街は見る気も起こらない。都心から離れているし時間が中途半端だし、空港に着くと売店はあったが、ルーブルでなくユーロで表示されている。
12:00発のツボレフに乗る。5時間の飛行でまたブラーツクにて給油1時間。ちょうど日が暮れるところだった。特にトラブルもなく飛行は順調だった。7月
30日(第8日目)5時間のフライトであるが、やや出発が遅れたので羽田についたのはほぼ午前5時。日本は蒸し暑くて湿気がひどい。当初始発を待つ筈だったが、荷物が出たのが遅く、2番車になった。帰りはモノレールで天王州アイルから臨海線乗り換えのルートで帰ったが、これが実に不便、乗り換え駅のくせにやたらと遠い。高架から地下まで重い荷物を持って移動するのは今後避けるべき。しかも料金も高く時間も早くない。潮見到着
6:45?。地震の余震であろうか、壁に掛けていた時計が落ちていた。それ以外は変化なし。また暑い日本の夏に戻ってきた。お疲れ様。それにしても1都市1国1日ではハード過ぎた。