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テニアン金環日食旅行4日間

2002年6月8日(土)〜6月11日(火)

近畿日本ツーリスト東京企画旅行支店。協力:協栄産業梶B

6月8日(第1日目)

東京に引越してから初めての海外旅行である。東京から6:30発の成田エキスプレス1号の予約をとってある。成田空港第2ターミナル7時30分集合だが電車の到着は728分。予め遅れることは伝えてある。東京駅構内での移動には実質15分くらいは掛かる。10:00発のJALウエイズJO-947便でサイパン島へ。JALはケチだからエコノミーのグループツアーではマイレッジが付かない。

14:20サイパン着の予定、フライトは3時間20分で時差は1時間進んでいる。空港出発がやや遅れ気味でサイパン観光の時間が少ない。サイパン・テニアンはグアムと行政区が違って北マリアナ連邦に所属する。サイパンではグアムのように観光開発が進み、開けているしマクドはもちろん何でもある。空港は島の一番南にあり、バスで一番北のバンザイクリフへ向かう。バンザイクリフは太平洋戦争の悲劇の地であり、平和観音を初め多くの慰霊碑が林立する。ちょうど南側には断崖絶壁スイサイドクリフのラストコマンドポストがあるが、時間がなく訪問を諦めざるを得なかった。残念である。

途中でコンクリートの掩体濠を見つけた。戦争遺跡がいくつでも残っている。市街地は中央部のガラパン地区、南部のチャランンカノアの2ヶ所、ホテル日航サイパンは北のほうに離れてある。バンザイクリフからガラパンの少し北のフェリー港について、17:00発の双胴高速船(ジェットフォイル)に乗る。 TINIAN EXPRESSと書かれた船は50分でテニアンに着く。船は割りときれい。

テニアンとサイパンは5kmしか離れておらず、飛行機で10分と言っていたからもっと早く着くと思ったが、テニアン港は島の南で遠い。船から米軍のアンテナ群(像の檻)が見えた他は、人工物は殆ど目に入らなかった。港につくと巨大なホテルが一つだけポツンと見える。これが目的地のホテルでダイナスティホテル&カジノである。大変小さな港で、もう1隻高速船が停泊していた他には船もいない。ホテルは香港の実業家が建てた立派なもので、ふんだんに大理石を使った大変広いロビーを持つ。勿論カジノのためである。

夕食はホテルから500mほど歩いて、Minako’ Restaurantと言うチャモロ人の店へ行った。途中でガソリンスタンドのミニスーパーMyungDongを見ておいた。早目に行ったので日本人では我々が最初だったが、他に食う所がないから、その内にゾロゾロと日本人が増えて来た。ホテルへの帰りにMyungDongで食糧調達。以後、この店が毎日の買出しの店になる。予定ではホテルの朝食が付いている筈であったが、1$123日分$72を現金で返してくれた。

6月9日(第2日目)

屋上が解放されるとのことで、観測場所の条件を下見した。ホテルの東側に小高い山が続いており、日の出は見ることは出来ない。第2接触では高度約10度くらいだから、問題なく見ることは可能。前半組が帰ってくるのを待って、11:30に集合してホテルのマイクロバスに分乗して半日の島内観光。そう言えばこの島にはタクシーがなく、公共のバスもない。何処へ行くにも交通手段がない。レンタカーがわずかにありホテル内に事務所があった。ブロードウエーと呼ばれる南北の一本道を北に行くと、途中に日本軍の通信隊の建物跡が残っている。さらに北上するとNKK神社跡に着く。NKKとは南洋興発会社で戦前の砂糖会社。ここから東の海岸に出て、BLOW HOLE潮吹き海岸へ。この辺りはまだ地雷の撤去が行われていないとのことで半分は立ち入り禁止区域である。潮吹き岩はハワイでも見たが、ここは近くで見えるので水しぶきも飛んできて迫力はあった。さらにバスでB29用の滑走路のうち4本ある一番北側のAble滑走路を走る。

テニアンには原爆を搭載した2つの原爆ピット(積み込み場所)が残されている。No.1広島とNo.2長崎である。

原爆ピットのそばでも赤い花をつけた火炎樹がきれいに咲いていた。ここに飛行機のエンジンが落ちていたので早速写真に写した。この近くに旧海軍航空隊(第1航空艦隊)の司令部跡がある。鉄筋コンクリート製の2階建てビルで作りもしっかりしており立派なものだ。天井や床は穴があき、柱も一部損壊しているが、この南洋の島には不釣合いの立派さだ。帰りの道でも米軍の戦車の残骸が放置されているのを見た。バスはそのまま島の南端を回って、テニアンのスイサイドクリフへ、ここは街灯もなく公園化された慰霊塔の集団があるだけである。沖縄県の出身者が多く特別の祭壇が設けられている。悲惨な歴史をもつ場所だが、海の青は特別に美しい。この後、港の近くのタガ遺跡で降りて解散した。この辺りが島で一番にぎやかなサンホセ村だ。ここにはグアム島で見たラッテストーンの集合体がある。殆ど倒れてしまい立っているのは1本だけだ。ここでバスを降りた時に、ヨーコさんから地図を預かった筈だが落としてしまう。やむなく港まで歩いて行って事務所(と言っても一人しかいない)でもらおうとしたが、ホテルにおいてあるとのつれない返事。それじゃ役に立たない。ここからホテルまで徒歩で帰るが、とにかく暑い。ここでもう1軒のスーパーMYUNG DONG MARKETへ行く。同じ系列らしい。ラーメンなどは韓国製のものが多い。帰りは海岸沿いをタガビーチまで歩いてビーチの下見をした。夜食は少し遠いが、Tinian Hotelのレストランに行った。レストランと言っても、小さな汚いカラオケスナックみたいなところ。他に食べるところがないから結構日本人で流行っている。私はBeef Triyaki、ヨーコはShurimp Tempuraにトライ。

6月10日(第3日目)

終日自由行動。ビーチで泳ぐ。水が澄んでいてきれい。熱帯魚が岩礁の近くをたくさん泳いでいていくら見ていても飽きない。水に浮いて見ているだけで、後で気づくと背中や肩がひどく焼けていた。日焼け止めクリームを塗っていたが、手が届かない分、指の形まで焼け残って無残だった。日中は日差しが強く、温度も高いからそれ程長くは外におれない。

この夜も夕方日が沈むのを待って、例のミナコズレストランへ行った。食べたものは私はChicken Sweet & Sowour, ヨーコは Pork Curry。何とすぐ我々のすぐ後で来た日本人集団の中に顔を知った人がいて、声を掛けられた。名前は知らなかったが、アフリカ日食で一緒だった人達だ。

夜は星空観望会をやってくれたので、21:00よりホテルから徒歩にてタチョンガビーチへ出掛ける。サソリ座が高い。ケタウルスのα、βに南十字がきれい。西には沈みかけたしし座が頭から逆落としの状態に見える。1時間ほど固定で撮影するが時折雲が流れて星が見えない。

6月11日(第4日目)

スイサイドクリフで観測する人達はサイパンからのフェリーが到着する午前3:30までにバスで出発し、場所とりと星空観望。我々の観測地はホテルの前庭に決めた。ヘリポートの縁である。やはり雲の発生が多く、今回は曇るかも知れないと思った。部分食の間は雲を通して見てもまぶしくなくて形が判るから余り気にならない。7:021接触、いよいよ金環食にという少し前から厚い雲に覆われてしまった。それでも不思議に8:112接触、8:123接触、と肝心な時間には雲なく観望できた。金環食の直前に韓国人やら現地人やら日食だけを見に来た人が集まってきて、せっかく人が少ないところを陣取ったのに嫌気がさした。コロナは全く見えず、ベイリービーズも見えず、わずかに月縁で途切れ途切れの環を見ることができた。時間も短いし、やはり皆既に比べて随分見劣りした。9:324接触。まで待たずにヨーコと乾杯をして片付けに入る。部屋は12時までにチェックアウト。ホテルのロビーでS田氏に出会った。もしかしたら来ているのではと思っていた。彼らは同じ近畿日本ツーリストだったが、M山さんの個人グループだった。帰りのバスは12:30に出る。フェリーの中で日食情報センターの人達が作ったステッカーを見た。S田氏はカバン3つで40kgの荷物と言っていた。彼らは、この後サイパンに泊まり観光とのこと。

サイパンについて空港へ向かう。土産を買う時間が少し(20分)あると思ったが、出国手続きの処理が混雑し飛行機に乗る時間も危うい状態となってしまった。

結論的にテニアン島にはダイナスティホテルを除き全く観光施設がない。買物はホテルのショップでするしかなく、ヨーコさんは何度も足を運んでいた。

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