トルコ日食旅行(1999年8月7日〜15日)
8月7日(土)(第
1日目)午前6時すぎにマンションを出発し、地下鉄東西線6時12分の地下鉄に乗った。西船橋でJRに乗り換え、1駅行った船橋でこんどは成田行きの空港快速に乗る。 直通で成田へ出る便が無いので不便である。7時36分に終点の成田空港に着く。いつも関空を利用していたので、成田空港は久しぶりであった。○×ツアーズと言うマイナーな旅行社であったから正直やや心配な面もあった。キャセイのチェックインは自分でやらねばならないのだが、急に荷物タグの発行がコンピュータの故障で遅くなる。予定の集合時間に集まらない人もいて、結構みんな勝手な人達だった。
10時発で香港到着が13時40分、新しい香港空港も初めてだった。まだ空港内は工事中のところが多く、広すぎる割に案内表示が不親切で、トランジットのゲートへの行き方が分からず若干ウロウロした。土産物屋でヨーコに財布を買ってもらう。香港$は16円くらいか?
15時発で香港を出るもイスタンブールまで時間の掛かること。直行便で行くのと殆ど変わらない。イスタンブールではスムーズに入国したものの荷物がなかなか出て来ない。いったい何人がツアーに入っているのかも分からず、自分の荷物に注意した。どこかのポーターが私のカバンを取り込んだので直ぐに取り返しに行ったら、それが○×ツアー会社だった。トルコ大使館でわざわざ器材リストを見せてトルコ語で書いてもらった手紙を外人(パットンと言う同行者)を代表者として一団として税関を通過する手筈であったが、別に何も無く過ぎることが出来た。添乗員のM氏とも合流できて、夜のイスタンブールをホテルに向かった。ホテルはまずまずの出来だが周りは雑踏の中で治安もよくない。8月8日(日)(第2日目)
7時に朝食を済ませバスで空港へ。トルコリラに一人100$を両替する。これがむちゃくちゃな金額である。売店で物色しても数10万リラ〜数100万リラもして、とても慣れないうちは買物は無理である。ゼロの数を数えてもピンと来ない。1時間の飛行でアンカラに着き、アナトリア文明博物館へ。土産売りが来て絵葉書が12枚1$だと言う。トルコ切手が3$で思わず買ってしまった。1$115円くらいだから1枚10円? これは絶対安い! 博物館はヒッタイトの歴史が石器時代から展示され冷房はないが結構涼しい。アッシリアの石造などは大英博物館で見ているので規模が小さいので大した刺激にはならない。きっといいところはエジプト同様に欧州人が持ち帰ってしまっている。この後郊外の高台にあるレストランで昼食。快晴の暑い空に砂ぼこりが舞う。午後はアタチュルク廟を訪問。世界史で習ったトルコ建国の父(ケマルパシャ)の話を聞く。トルコは同じイスラム教でもイランとは違いスンニ派、アルファベット文字で、政教分離、戒律も緩い。
ガイドのアドナンはアンカラ大学の日本語科の出身で、詳しく歴史や文化を教えてくれた。ホテルにチェックインする前にもう1個所連れて行くと言うのでアンカラのタワーに登った。アンカラ市内の南の高台にあって街並みが一望できる。ホテルはモスク(ジャミィ)の近くだったので食事の後ヨーコと見に行った。ホテルのプールサイドでは何やら夜遅くまで歌謡ショーをやっていてやかましかった。トルコの歌は日本の演歌と良く似ているので初めは日本の演歌をやっているものだと思っていた。
8月9日(月)(第3日目)
8時半にホテルを出発しカッパドキアに向かう。約300km5時間の行程だ。アンカラを南に出るともう辺りは大草原地帯。緩やかな丘が続いている。しかし草はなく木もない。作物らしいものは向日葵の畑。ツズー湖と言う大きな塩の湖に沿って南下。毎年冬になると湖になるが夏は渇水して塩の結晶ができる。湖の中央付近に政府の製塩工場がある。アクサライの街を経て、シルクロードのキャラバンの宿の一つ
Agzikarahanと言う隊商宿にてバスストップ。石で囲まれた砦のような四角い施設で中に入ると中央に塔があり、周りが中庭で周囲は分けられた部屋がいくつもある。サルタンは貿易を推奨し、隊商を盗賊から保護する替りに税金を得ていたという。宿ではバザールが開かれ東西の交流が見られた。ネヴェシェヒールを抜けるとカッパドキア独特の地形が目についてくる。カイマルクの地下都市を訪ねた。かつてキリスト教徒達が人目を避けて地下に都市を作ったもので、入口から入ると地下8階の構造になっている。見学出来るのは内4階までだが、立体的に非常に巧妙に作ってあり、松明のための空気とりのために中央部に煙突があり、底は井戸になっている。家畜を飼う部屋があり、ワインを作る水槽や絞り場所、テーブルなどが岩を削って作ってある。岩は風化花崗岩のようで非常にもろく、柔らかくて削り易い。人がひとりかがんでやっと通れる通路だが、部屋は広く天井も高い。天文関係だからか懐中電灯を持っている人間が多い。(それともガイドブックに書いてあったのか?)一見鍾乳洞のように思うが、鍾乳石がなく内部は乾燥している。3次元的洞窟なので大変面白かった。敵の侵入に備えた非常扉の石の円盤もある。夕方にカッパドキアのスリーシスターズの岩に行った。
シドニーのブルーマウンテンにもスリーシスターズの岩があったが、どうして3姉妹なのだろうか?
ホテルはゴメダホテルと言う非常に辺鄙な場所にある一見新しいホテルだった。ウルギップの街から南に外れて少し山を登る。ガイドの勧めで赤い谷に夕日が沈むのを見に行った。赤い谷に入るには途中から有料道路になる。夕焼けの名所だそうで、トルコのグランドキャニオンでなかなか立派である。遠く東には富士山のような山が見えた。ここでカッパドキアのワインを飲み日没を堪能した。夜にヨーコとホテルを出て星を見に行ったが、結構ホテルの照明光があって空は明るい。それでも天の川ははっきりと見えた。数枚の写真を撮っただけで、明日に備えて寝た。
8月10日(月)(第4日目)
カッパドキア観光の一日。ギョレメの野外博物館に行く。岩壁にいくつも彫られた教会や修道院があり、キリスト教文化の名残があった。ごく一部にはキリスト教の壁画が残っているが、イスラムになって消されたものや、偶像崇拝の禁止により単純化された幾何学模様の素朴な模様が多い。既に一部は崩れてしまっている。ここでヨーコはパピルスに書いた絵を買う($20は今にして思えば高い)。この後、狩りの谷、鳩の谷などグランドキャニオンもどきを眺め、アバノスの洞窟レストランへ行って食事。他の天文ツアーのバスを見掛けた。乾いた所でアバノスでやっと川に出くわした。
トルコ絨毯の店に連れて行かれて、ここで蚕からシルクを紡ぎ染色から絨毯織りの実演を勉強させてもらったが、買物の押し付けには閉口した。一行で誰かが買わなければなかなか帰れない様子。結局、アラビア風体の金持ちペアと写真家のM氏と天文家のA氏が高い絨毯を買う羽目になった。時間が割にゆっくりあるので、他に行くこともないからそれ程皆の不満にはならなかった。2回目の店は宝石店でトルコ石と銀細工が主体。石をみるのは興味があるが、やはり店の構えがしっかりしていて
JCBが使えると高い。先ごろ上野駅の中国露天でみたジェムストーンの地球儀が気に入ったが小さなもので4万円もしたので、買わなかった。上野でも20万円と言われた。ホテルに戻る前に予定外に森のキノコ村?を通り、ぶどう畑のところへ降りて、バスに乗る。途中らくだ岩で下車。ヨーコはやっとアラビア風金ぴかの髪バンドを買った。この日はM氏が夕焼けを写しに行くと言ってまた出掛けた。私はカッパドキアの奇岩を入れて何とか写真を写そうとホテルの近くを下見して、21時過ぎに一人でカメラを持って出掛けた。ホテルの水銀灯がやたら明るい。M氏ほか5名くらいが向かいの岩場で写真撮影をしながら酒を飲んでいる。ペルセ群の明るい流星を一つ見たがカメラには写っていなかった。明日に備えて草々に引き上げた。8月11日(水)(第5日目)
午前3時のモーニングコールに起こされ、4時に食事、4時半出発。高原状の高い丘を越えてカイセリを経て、シバスに向かう。ちょうどカイセリに入る前に日の出を見た。この太陽が数時間の後に皆既となる。シバスの近くで水の買い出しで停車、軍隊の装甲車を間近に見る。何となく治安維持のために軍が出動している感じ。いよいよ観測予定地に近づくと、バスではこれ以上は入れなくなる。
ガイドが道を聞きにどこかに行ったまま戻って来ない。M氏だけが戻ってきて、警察で止められているとか。結局警備上の責任が負えないとの理由で、これ以上の進入を許可してくれない。どうやらツアー会社が金を払って許可を得たようだ。やがてパトカーがやって来て、我々を先導してくれることになった。小高い丘の上に登って、見晴らしの良い所がロープを張って確保してあった。早速準備に掛かるが、時間は第一接触の20分ぐらい前である。
’99トルコ日食観望の記
8月11日 at SIVAS晴天率を考慮してトルコ行きに決めたもののツアーの詳細がなかなか決まらなかったので多少不安であった。去年の暮れに関空出発のツアーをリストアップし適当な候補を見つけていたが、2月になって転勤し成田出発を探すハメになった。どこで見つけたか分からないのだがトルコ旅行専門店で○○ツアーズというのを見つけて参加した。一行はガイドを含め
14名の小集団で女性が多く、天文知識がある者は私の他、A氏1人(赤道儀を持参)だけと言うまったくの素人集団でした。A氏はタイ日食で一緒だった人で、1名だけ関空から出発されたが荷物が重く(38Kg)て、チェックイン時に航空会社に7万円の追加運賃を徴収された。さて日食の前日、夕食時に問題が起こった。我々はカッパドキアに宿泊していたが、ガイドは天文素人で何も知らない。観測地をどこにするか、何時に着くかで相談されたが、こっちは日食ツアーに参加したつもりだから条件は何も調べていない。A氏が持参していたスカイウォチャーだと
11時から始まることになり、ガイドが持っていた天文ガイドのコピーと2時間の差がある。食事もそこそこにヨーコさんは事態の深刻さに気付いてご立腹!! 結局トルコの新聞、トルコ航空の機内誌記事と天文ガイド記事が多数派であり、サマータイム採用下の現地時間で有ることが判って一段落。場所については大きなトルコ全土の地図で
SIVASの辺りを指して、この辺だと説明された。私は皆既帯のできる限り中心へ移動するようガイドに指示したが、ガイドが手書きで写した図によれば何とSIVASの街の真上を通って、たどたどしい線がボールペンで引かれていた。そっ、そんないい加減なことが!で、その日はモーニングコール
3時半、4時半出発で片道6時間のバスの旅となった。予定地付近につくと道が狭くて大型バスはしばしば立ち往生。ついに農村の民家のただ中で停まってしまった。ガイドが道を探しに行ったまま戻って来ない。やがてパトカーがやって来てバスを先導し始めた。結局ガイドは警察でいろいろ聞かれ、警備上日本人の安全に責任を持てないとの理由で、進入を拒否された。立ち往生の間バスの窓から見ていると村の道を歩いている日本人を発見!。追いかけて聞くとJTBの御一行だそうだ。と言うことは結構いいところまで来ているんだ!
思わず安堵の色が涌いてくる。で、その人に正確な現在時間を聞いた。ホテルのTVで時計を合わせて来たがチャンネルによって違っている?。 さすがJTBの人はGPSを持っていて正確な時間を聞くことが出来た。今思えば位置も聞いておけば良かった。さて結局警察にはいくらかのお金を払うことで進入許可をくれ、パトカーを付けて警備してくれることとなった。私が観測場所の心配をしている間、同行のツアーの人達は村人達と日本トルコ友好の集い(何せ日本人が珍しいのでたちまち大勢の人に取り囲まれてしまって、ヨーグルトの接待を受けたり写真を撮ったり)で時間が経つのもおかまいなし。
村外れの高台に器材を運びようやく準備が出来たのが第一接触
20分前ぐらいであった。高台で見晴らしは抜群であったが、すぐに村人達もぞろぞろと登って来た。現地ツアー会社もこれを想定してガードを2人増やし、観測の邪魔をしないようにトルコ語で注意し警備に当たってくれた。警官もいたので盗難などは無かったが、村人達の接待攻めには参った。わざわざ我々がいるところへ女達が集まってきてフォークダンスの輪が始まり、我々の為に家から飲み物を運んで来る。お祭り騒ぎだ。観測をしない同行者達がその相手を務めてくれたので助かった。天候は快晴で、極大期の素晴らしいコロナとプロミネンスを満喫できた。シャドウバンドも見ようと白いシートも敷いたが何せ短い時間で観察する余裕は全く無かった。今回はフラッシュスペクトルとコロナのスペクトルを狙ったが出来は今一つ。ヨーコさん担当のダイヤモンドリングは何とか成功。皆既に入ってから絞りを開くのを忘れてしまった。毎度のことながら興奮状態では必ず何か失敗している。
素人集団の中で同行の婚約者達が「ダイヤモンドリングをバックに入れて自分達二人の記念写真を撮って欲しい」と言った時には、返す言葉がなく「そんなことは絶対無理、セルフタイマーでストロボにして自分で勝手にやれ」と言いたかった。でも優しい私は「それは非常に難しい」と答えた。だって彼らはダイヤモンドリングも見たいと言っていたし…。全く分かっていない!。部分食でフィルターを持って来たと言ってもND×4(透過率25%)で透け透けだし…。
撮影は諦めてもらった。でも見るだけで大感激し、次はどこで見ることができるかと言っていたから日食好きがまた増えてしまった。
写真のフィルムがなくなってしまったので、部分食は第4接触までは撮影できなかったが。終わったら直ぐに帰りの準備、村人達がまた何やら宴会の用意始め出した。草々にバスに退散し出発した。途中から雲が出て雨まで降り出し、ラッキーであった。とあるガソリンスタンドで停車し日没を見た。帰りは相当飛ばしていたが、カッパドキアのホテルに戻ったのは夜10時ころだった。夕食時には他の日食ツアーの団体が少し前にチェックインしたばかりだった。50〜60人くらいの集団だった。この日もM氏らは日周運動の写真を撮るといって出掛けた。こちらは疲れ切っているので、辞退して眠る。
8月12日(木)(第
6日目)バスにてカイセリ空港へ。トルコ空港の国内線でイスタンブールに向かう。空港の郵便局で記念切手が出ていないか確かめに行ったがなかった。絵葉書用の切手を買った。カイセリ空港は軍用と併用しており、軍用機もたくさん停まっていたが警備が厳しい様で撮影は出来なかった。
イスタンブールの空港からマルマラ海の海岸に沿って市街へ向かう。二度目なので見覚えがある。テオドシウスの城壁を入れば旧のコンスタンチノープルである。昼メシは石畳の海鮮レストラン街でトルコ料理を食べた。なるほどガイドブックにあったような暑くて腐りかけているようなムール貝が売っていた。固くて粘っこいアイスクリームもある。
最初に行ったのはアヤソフィアで、映画の撮影中とのことで有名なモザイク壁画のある部屋は見ることが出来なかった。その代わりに中世の衣装をきた俳優達を見ることができた。
内部は足場が組んであり補修工事中であった。もともとキリスト教の教会であったのをイスラム教に変えたのだから異様な寺院である。次いでトプカプ宮殿を訪問。巨大なエメラルドやダイヤを配した装飾剣など豪華な財宝が展示してある。ずっとコーランを唱えている部屋があり、宗教がかった展示も多い。角の部屋からボスフォラス海峡が良く見えそこは涼しかった。3本のオベリスクのある広場へ行った。一つはエジプトから持ち帰ったような普通のオベリスクだったが、真ん中のものは3匹の蛇が絡み合った姿で変わっている。
最後にブルーモスクへ入った。モスクへ入るには短パンやノースリーブは駄目で、入り口で青いショールを貸してくれる。靴を脱いで入るから足臭い。中に入るとメッカの方に向かってお祈りが出来る様、各自の席が絨毯の上に敷きられている。壁にはタイルが嵌められていて、これが青いのでブルーモスクと言う。夜はホテルのレストランで夕食付き。
8月13日(金)(第
7日目)私としては珍しくオプショナルツアーを申し込んでいた。それはトルコの治安と言葉がどうか判らなかったので、日本で申し込んでおいた。半日ボスフォラス海峡クルージングが7000円だった。参加メンバーが少なくて10人揃えば特別な舟を出すと言っていたが結局は日本で申し込んだ3名+3名の6人だけだった。船が出るまでに時間があるので地下宮殿を見学。古代遺跡の柱や部品が寄せ集めて作られてり、興味深い。巨大な地下貯水地であり、見える訳ではないから実に多彩な石柱がある。中でもメズーサの首は圧巻であり、どこから持って来たものかと思う。ここは最近になって公開された遺跡であり、観光用に設備が整備されている。暗い中でも魚が泳いでいるのには驚いた。
海峡クルーズの船はホンコンのスターフェリーのように安い。たったの50万トルコリラだから、125円くらいか。海峡を黒海に向かって進み4回目の港サルイエルで下船。もう一つ乗れば終点のアジアサイドだ。海峡には吊り橋が2つ掛かっているだけで随所に要塞がある。アジアとヨーロッパの接点だ。帰りは車が迎えに来てくれていて、途中でレストランにて昼食。やはりトルコ料理で結構うまかった。ここのレストランでも日本人のツアーが後で来た。天文ガイドの追加募集コースとバスに書いてあった。帰りは新市街のタクシム広場の近くで降ろしてもらい自由行動。他の女の子が軍事博物館に行くと言うので、ついでに我々も行くことにした。ちょうど4時から軍楽隊の演奏が始まるというのでコンサートホールに向かった。展示はトルコ独立前後の軍服やら兵器やらとにかく戦争ものばかりだ。映画の誰が為に鐘は鳴るに出てくるような機関銃がゴロゴロと廊下に展示してあった。軍楽隊はトルコ軍の民族衣装を着たような風体で、普通のラッパや太鼓の他にトルコ独特の楽器(笛、太鼓)が有り、幟を持った兵士やサーベルを両手に持った兵士など独特の伝統的な隊形があるようだ。この後タクシム広場のトラム乗り場から古い市電に乗って地下鉄乗り場へ。しかし地下鉄が見つからないまま徒歩でガラタ塔まで来た。案外小さな塔であるがエレベーターがある。ガラタ橋を歩いて渡りエジプトバザールを見て、市電でホテルに戻った。ホテルはベヤズット駅の南のプレジデントホテルだが、すぐ近くにはグランドバザールがあり、様子を見に行った。近くで水(トルコ語で ”ス”)を買ったら、何と10万リラでトイレ代くらいに安い。日本円で25円位か?日本だと500ml入りが100円はする。夕食はホテル近くのケバブの店で持ち帰りのサンドイッチを買って食べる。
8月14日(土)(第8日目)
最終日で終日自由行動。朝はイスタンブール大学へ行き、歩いてローマ時代の2階建てのヴァレンス水道橋を見に行って、その後チェックアウトのためホテルに戻り、荷物を預けて出直し。オリエント急行の終着駅イスタンブール駅を経て、中央郵便局は土曜日でもやっているだろうと中央郵便局へ行って切手を買う。やはり日食記念切手は発行していない。コレクション用に何種類か買って、絵葉書を出す。ホテルに頼んだら日本向けには料金不足だと断られてしまったやつだ。本当は日本へは25万リラである。エジプトバザールでヨーコのブレスレットを買った。ガラタ橋へ向かう途中でハードロックカフェのTシャツを着ていたら、Tシャツを売りに来たオジサンが気付き親しみをこめて売り込みを止めてアッ一緒だと喜んでいた。
ガラタ橋の地下道にはやたらと電器屋さんが多く、携帯電話の店が目立っている。地下鉄の乗り場が分からず、警官にきいたが、チュネルと言えば通じた。これはトルコで唯一の地下鉄と呼ばれていたが何と1駅しかなくしかも電車でなくてケーブルカーである。乗るにはジェトンと言うコインを買わねばならない。降りたところに楽器屋が多い。ここで悟の為にスティックとCDを買う。ついでにその隣あたりに切手屋さんが2軒もあり、自分用にパケットを買う。昼飯はまたしてもケバブのお店。手軽で気に入った。帰りも地下鉄にのり、イスタンブール駅へ寄って、考古学博物館へ向かう。ここにはアレキサンダー大王の棺がある。ここでトラブルが発覚、ヨーコが財布を無くしたと言う。さっきの電車の混雑に乗じてすりとられたようだ。これには注意していたが私も不覚であった。この後気に入っていたトルコが急に嫌いになった。
この日は出発日でホテルに荷物を預けてチェックアウト。最後の買物にはホテル近くのグランドバザールへ行き、小物の土産を買う。バスで空港まで行き
23:20のキャセイCX302便にて香港に向かう。8月15日(日)(第
9日目)約
11時間の飛行の後、香港到着。CX508にて成田到着21:25。空港快速と地下鉄を乗り継ぎ、無事に帰宅。<後日談>
帰宅
2日後の8月17日、トルコで大地震が発生。イズミットを中心としたM7.4の地震で1万人以上が死亡した。イスタンブールでも旧市街を中心に大きな被害が出た。出発がもう3日遅かったらイスタンブールで被害に会っていたと思うと、自分達はラッキーだったと思うと共にガイドのアドナンや家族のことが気になった。イスタンブールの市電の中でのスリ事件はあったが、ヨーコによればやはりイスタンブールは良かったとのことである。